2017-07

「自由研究」から考える教育のグランドデザイン - 2016.08.15 Mon

夏休みの後に小学校にいくと、子供たちの自由研究が展示されています。
その多くが、なんともとても立派です。

大人でも「なかなかこんなに上手に作れないよ」というものまでがならんでいます。
そう!それらの内、立派なものは親が手伝っていたり、場合によっては企画から制作までやってしまっているのですね。

実際、子供たちののお父さんお母さんからも、「自由研究大変なのよね。今年はなににしようかしら」といった声を聞きます。






これは「う~ん、なんだかな~」という事態ですよね。

学校の先生たちもわかっていると思うのだけど、毎年相変わらずこの「う~ん、なんだかな~」という宿題が繰り返されてしまいます。




ここには、まさに日本の教育の弱いところが現れていると感じます。


日本の教育は、戦後、経済的な復興のために整備されてきた側面が強くあります。
言ってみれば「よき働き手」を作るための教育として発達してきました。

まあ、それは確かに教育の大きな目的であり、そのことはどこもおかしなことではないでしょう。

しかし、その一方で教育が目指すところの人間像(子供像)は硬直化していきます。



「求められる正解を適切に出せること」が教育そのものになってしまったのです。

決まりきった正解がある問題は解けるけど、そもそも正解のない問題をこなす能力はそこではあまり伸ばせません。


それは音楽や美術にまで及んだ影響を考えると明らかです。

専門の美術学校などで、そのスキルを学ばなければならないというのならばしかたのないことかもしれませんが、小中学校のような基礎的な素養として身に付ければいい段階であっても、これらの教科にも点数付けをするようになってしまいました。

点数をつけなければならないので、模範の解答(作品、演技)を設定してそこと比べる形で評価をしていきます。
そのためには、「上手にできること」を目的として、そのためのことを教えなければなりません。


本来、美術や音楽といった感性にまつわることですから、点数化できない部分がふんだんにあるはずなのですが、「正解を出せる人にする」という教育のグランドデザインがそれを求めていくようになりました。


そのように、本質的に「自由」であるものにまで、「正解」を設定してきたのがこれまでの日本の教育のあり方です。



つまり、日本の教育において「自由」というのは、まったくと言っていいほど遠い位置にあるものです。


”教育全体の目指す方向性”(教育のグランドデザイン)が、そもそも「自由」とは違う方向を向いているのです。



その落とし子として、この「自由研究」があります。
形骸化した「自由」をタイトル持ってきて、それを実行に移せる手段を教育されないまま、子供たちに「それをしてきなさい」と与えられています。


そのような中で、名目だけの「自由研究」をやってもはかばかしい成果は得られません。

それが現状の、親の作品の展示会と見まごうばかりの結果をもたらしています。





子供たちは、なにごとか自分の興味あることを見つけ「自由」に、それを調べ追求し表現する「研究」をできるようになる方向性での教育をそもそも受けてきていないと僕は思います。


だから、「自由にどうぞ好きなことを研究してね」と出されても、それができないわけです。

「自分でできない子供たちが悪い」
「手を出してしまう親がよくない」

そういう問題ではないのですね。



教育の方向性が、「自由研究」というテーマをこなせる子供を作り出せていないという、もっと根本的な問題があるのです。


「決まりきった正解が出せる能力」

ここにしか目がいかないようでは、いつまでたっても自由研究という名の親の展覧会は変わらないことでしょう。





もう随分前から、日本もクリエイティブな才能を伸ばしていかなければならないといったことは言われています。

また、かつては経済が好調だったことから、学校を出て会社員になることで人生は無難に送ることができていましたが、現在ではそうとは限らなくなってしまっています。
これまでのような、決まりきった正解が出せることや、上の学校に進学するための勉強をするだけでは、もはや教育は全うできなくなっているのではないかという時代に来ているでしょう。


自由、個性、自主性、主体性


こういったことが重要だとずい分前から言われる割には、それを伸ばすことができるようになってきているとはまったく感じられません。

それを理解していない人たちが、かたちだけ子供たちに金子みすずの詩を「みんなちがってみんないい」などと読ませても意味はないどころか滑稽なだけです。





僕は、保育や教育を考えるときにいつも思うことがあります。


それは「給食」のことです。

この数十年で学校で子供たちが食べる「給食」は大きな変化を遂げました。
保育園や学校に給食は付きものです。

「食育」という考え方が普及したのもあって、給食はとても大きな変化、進歩、発展を遂げました。
その一方で、同じ所で展開されている保育や教育はどうでしょう?

その給食の劇的な変化に比べると、あまりに旧態依然として変わらない部分が多いようです。


しかし、社会や子供たちの置かれた状況は刻々と変化してきています。
教育も保育もそれに応じてやはり変化が必要ですよね。




自由研究の展示を見た時「う~ん、なんだかな~」と感じるたびにいつも思うのです。

学校の先生ももちろんだけど、多くの人に「教育の目指す方向」についてもっと考えたり、意見を出していってほしいなと。


日本ではどうにも、「教育をどうするか?」というのを国や学校に任せきりのようなところがあるのだけど、本来、子供たちの教育はすべての人が考え意見を出し合っていっていいことです。


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● COMMENT ●

誰かが手伝わないとできない宿題

こんにちは、小学5年生の男の子の母親です。
宿題の内容は、私が小学生の頃と同じでびっくりしています(特に読書感想文・自由研究・工作)。
やり方を授業でしっかり学んでいないのに、いきなり夏休みにさせるのは無茶だなあと思っていました。
本屋さんには自由研究キットがたくさん売られていたり、民間の絵画教室・読書感想文の書き方講座の広告がたくさんあり、自力でやり遂げるのが困難であることが表れています。
私は親子での共同作業と割り切っていますが、それにしても共働きの主婦にはしんどい夏休みです…。

本当に不思議

夏休みの宿題、懐かしいですー。
私が小学生の頃を考えると、周りの子が手伝ってもらっていたかどうかは分かりません。
(田舎だからか?親に手伝ってもらったかどうかなんて、話したこともないです。)
うちでは手伝ってもらうという習慣がなかったので、当然周りもそうだと思っていたのかもしれません。
別に手伝うのが悪いとは思いません、きっとみなさん度合いは考えているのでしょうから。

そして、自由研究なんて、自由なんだからなんでもいいわ~と思っていました。
でもなぜか、みんな、理科系だと思ってるんですよね。
子供にとっては手を動かして目で見える実験のほうが楽しいとか、文系の研究、論理的な思考はさすがに小学生には難しいでしょーとか、そういうことなのでしょうか。文系は研究する価値なしという概念がここにまできているのでしょうか。
でも小学生だって作品や概念について真面目に考えている人もいるわけですよね。
そういうのも自由研究なんだよ、ゲームの世界についてでも人間観察でも方言についてでも、なんでもオッケーだよーって、言ってくれる人が、あまりいないのが残念です。
自由なんだから、やり方なんて杓子定規に教えて欲しくないですし、もし授業でやるのであれば、夏休み後がよいと思います。時間がとれればよいのですが。

どうしてそうなってしまうのでしょうね。
自由研究やそういったものは、自由なのに。なんだっていいのに。凝ろうと思えば凝れるし、やる気がないなら適当なものだっていくらでもできるのに。
本当に不思議です。
不思議だけれど、どう変えればよくなるのかが全く分かりません。
おとーちゃんの記事は、とても考えさせられます。

もなさん
私の妹の小学生のころ(私が小学生の時は自由研究はなくて、数年後に始まりました)の話ですが、地域の歴史を調べたり、別に理系の研究でないと〜という雰囲気はなかったように思います。地域柄でしょうか?自由研究というものが始まったばかりだったからでしょうか?

我が家は息子が小学1年生で初の夏休みでしたが、自由研究しても良いし、面白貯金箱でも、ポスターでも、アイデア料理でも、便利グッズでも読書感想文でも何でも良いから一個やってきて、という自由すぎる宿題でビックリしました。

自由研究は親に手伝ってもらってでいいんじゃないかなぁと思います。自分の過去を振り返ると、こんなんがしたいなーというアイデアがあっても、どうやったらいいのかわからず親に教えてもらって、アイデアを形にする方法を学びました。うちの親も凝り性なので、私の宿題を自分でやってしまうということもありましたが、わりと素直に、そんなやり方もあるんやなぁと見ていたように思います。

義務教育が、貧富の差なく全員に基礎的な学力を身に付けさせて社会に出るのに同じスタートラインに立たせるというのが目的ならば、全員同じでいいと思うのですが、道徳(今もあるのか?)で、一つの正解に導くやり方はどうかなぁと思います。
イギリスの労働社会学の教科書に(これは学部生向けの教科書ですが)、ホテルマンが宗教上の理由でターバンをしていて制服の帽子の着用を拒んだのは正当か、では建設業で同様の理由でヘルメットの着用を拒んだのはどうか、というような問いかけがありましたが、このような、もっと議論できる正解が一つではない題材を取り上げないと多様性について理解が難しいように思います。

音楽や美術、他の学問でも、自由に表現したり、独自の思想を展開するのは、義務教育よりもっと先の高等教育レベルではないかなぁ。義務教育はそういう自由を展開する上で必要なスキルを学ぶところではないかと思います。

何度もすみません。
義務教育は自由を展開する上で必要なスキルを学ぶところだと書きましたが、そのスキルを使って表現する場である運動会や演奏会は、もう少し子供主体にしていいのではないかと思います。
運動会の行進やマスゲーム、演奏会のうまい下手などは、先生が達成感を得るために子供を使っているような感じを受けることがあります。
何を演奏するのかは子供にも決められるし、音楽の得意な子が指揮をしてもようでしょうし、運動会の入場行進など、足並みが揃ってなくても、ここぞとばかりに観客手を振ってアピールできる場にしてもようように思います。
先生は子供が選んだ曲の楽譜をアレンジしたり、運動を心から楽しめる場にするためのサポートに徹して欲しいなぁと思います。

大きな変化

僕からすれば、詰め込み教育からゆとり教育に変わったことは、大きな変化でしたね。

ただ、現状では脱ゆとり教育になってしまい、残念ですね。

こういう教育は、成果が見えにくいので、もう少し期間をもうけて欲しいですね。

まぁ、方向転換の要因に学力低下があげられていましたが…

やっぱり目に見えるかたちの方が、議論しやすいのでしょうかね。

自由研究とはそれますが・・・

自由研究とは話題がそれますが。
うちの子が小学校の児童会役員をしてるのですが、その内容を聞いて驚いてます。
児童会と言うと、子どもの目線で学校生活や行事の運営をするところだと思ってたのですが、どうやら殆ど先生に仕切られてるそうです。
地域の方々との会議や、児童会の進行も、全て先生が原稿を用意して、読み上げてるだけだと言ってました。

私はゆとり以前の教育を受けてますが、それでも会議の進行は子ども主体で進めてたし、各々自分の意見を述べてました。勿論、先生方も大枠では、裏からサポートして頂いてたのでしょうけど。

邪推かもしれませんが、ゆとり教育でコマ数が減った事で話し合い時間の短縮のために、先生のてが沢山入るようになったのかな?そして脱ゆとりになっても、それが標準になってるのかな?と思ってます。

せっかく学童で自主、自営の大変さや、うまくいったときの達成感を教えて貰ってたのに、と残念です。

親は手伝わないで欲しい

小学生の時、美術の宿題で親がどんどん手伝ってきて、クラスで一番になり先生に誉められました。
私の作品ではなく母親の作品のようなもので、先生、友達を騙してる罪悪感、嬉しそうな母の顔を見て断ることは出来ず何も言えなかった記憶があります。

出来上がりを見るのではなく、作る工程を大事にしていただけたらと思います。

はるままさん
地域柄でしょうか、なんでもOKな雰囲気があるといいですね~。
そしてお子さんの夏休みの宿題、羨ましいです。楽しそう!

やらなきゃいけないことをやる。
すきなことをがんばる。
この2つをする機会を、夏休みの宿題は与えようとしているんですねー。
当時は何も考えていませんでしたが。
子供も色々だし、親も教員も学校も色々ですね。
でも少なくとも学校は、子供の成長を第一に考えて運営していただきたいです。
日本人は大多数が、その子のためではなく理想や理論でもなく、組織に迷惑をかけないようにしてしまうから。真面目に。「しつけ」もそうですね。私たちの文化や考え方に関わることなので、難しいことだと思いました。


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