2017-08

「良いしつけ」「悪いしつけ」? vol.2 - 2016.06.10 Fri

まずは連絡事項から。

◆6月26日(日)、7月3日(日)の保育士向けのセミナーについて

6月26日(日)はすでに定員に達しておりましたが、キャンセルが出ましたので2名募集いたします。

7月3日(日)はまだ空きがありますので募集中です。

お申し込みはこちらから。


◆6月18日(土)の講演は定員に達したため募集締め切りました。ありがとうございます。




さて、では前回の続きです。

僕は、「現在の”しつけの子育て”は乗り越えられるべき」と考えています。

”乗り越える”というのは、「その問題点をクリアにして理解しその上で適切な子供への関わり方を身につける」という意味合いで考えています。





「良いしつけ」と「悪いしつけ」があるだけならば、「それは悪いしつけですから、そうはしないでこういった良いしつけをしましょう」と伝えていけばいいのですが、前回のところで述べたようにそのようなことは、もう限界に来ていると感じています。


なぜなら、「しつけ」の問題点は「良いしつけ」と「悪いしつけ」があるだけではないからです。

「しつけ」という子育ての考え方には、”やり方”だけの問題ではない構造的な問題が含まれています。
ですから、方法を良くするだけでは改善しきれない問題があり、それゆえ「乗り越え」なければならなくなっています。


1.「しつけ」の本質が「子育ての方法」ではないこと
そもそも「しつけ」とはなんでしょう?
多くの人は、子供への「しつけ」によるアプローチを思い浮かべることでしょう。
それらの関わり方、つまり「しつけ行為」だけ見ればたしかに子育ての方法のようです。

しかし、「しつけ」という考え方、「しつけの概念」が最終的にいきつくのは、”子供への関わり方”ではなく、親に「子供を〇〇にしなさい」という”親への要求”になっています。

「しつけ」の本質は、まずもって「親への要求」なのです。
その「親への要求」を達成するために、つまりそれを「目的」として、子供へのアプローチである「しつけの行為」がいわゆる「しつけ」として作り出されています。
この作り出されたものの中に、「良いしつけ」と「悪いしつけ」ができあがっています。


そのように、そもそも「しつけ」とは子育ての方法論(具体的関わり方)ではないのです。
だから、「目的は手段を正当化する」ことが起こり、さまざまな不適切な関わり方(悪いしつけ)が生み出されてしまっています。

この「親(または大人)への要求」ということが、「しつけ」の構造の問題点の第一です。



2.子供観の問題
「しつけ」はそのように「親への要求」としてあります。
ですから、「しつけ」は親に「あなたの責任でその子を正しくしなさい!」と迫ってきます。


それがさらに、子育てを難しくする二つの大きな問題点を生み出します。


◆子供を支配対象と見ること
「しつけ」は「大人が子供に〇〇させるべきこと」を要求します。
それは結果的に、子供を大人よりも、低い位置にあるもの、従属すべきもの、言うことをきくべきものなどのように、子供を支配対象であるという先入観をともなわせます。

このことは、子育てに様々な問題を引き起こしています。


極端なところでは、「しつけ」が虐待を引き起こす大きな原因となっています。

そのようなものでなくとも、一般の多くの人が日常で感じるような「子供が言うことをきかなくて大変」といった問題を起こす最大の原因となっています。


皮肉なことに、「言うことをきく子にしなければ」という大人の意識がかえって「言うことをきかない子」を作り出すのです。


どこでも耳にする言葉に「男の子は子育てが大変」というのがあります。
これは比較的活動的な傾向が強い男の子の方が、「支配に従順に従いにくい」から「しつけのアプローチ」では、結果的に「大変」になってしまいやすいのです。

本当のところは、「男の子は子育てが大変」なのではなく、「男の子としつけの子育ては相性が悪い」ということなのです。


そのように「しつけの考え方」は、大人と子供の関係を「支配、被支配の関係」にしてしまいます。
この問題は「しつけ」で子育てを考えている内は、切っても切れないものです。つまり構造的な問題なのです。




このことは「しつけ」が「その親の責任」と強調されるようになった、”専業主婦が一般化した時代以降”(およそ40~50年前から)さらに顕著になってきました。
社会や地域の人を含めた多くの人が、ゆるやかに一人一人の子育てに関わっていた時代は緩和される要素がありましたが、子育てが各家庭とくに母親の責任と強調されるようになり、この問題は加速化してきました。



現代では、「個性の尊重」「子供の尊重」といった考え方が世の中に広まり、それが重要と考えられる時代に入ってきています。
そこと、この「しつけ」が「支配・被支配の構造」を持っていることは、相反するものがあるので、水と油がひとつの容れ物の中にあるようなちぐはぐな状態が現代の子育ての状況になっています。

このことは結果的に「個性の尊重」「子供の尊重」といったことの理解をおかしな方向にし、「子供のいいなり」になってしまったり、必要なことを自信を持って伝えられない、いわゆる「叱れない親」の問題などを引き起こしています。

このような現代的な子育ての観点を適切に理解していくためにも、「しつけの考え方」には乗り越えられるべきものがあるのだと感じています。
(まず、特に子供への関わりを仕事にしているプロフェッショナルにはね!)


つづく。
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● COMMENT ●

「親への要求」とは、何による親への要求でしょうか。 世間様?
私は自分からこれまでに修得してきた価値観を子供に伝えて、同じように身体化させることがしつけだと思っています。
こう書くと大げさですが、例えばお茶碗を持ち上げて食べないとテーブルにこぼれて汚い→一緒に食べている人が嫌な気持ちになる、というような、私たちの文化の根本にあることを自然にできるようになってほしいということです。
そして、誰に迫られなくとも、それは親の責任だと思っています。
(方法としては、親がやらせるより友達や先生に学んだ方がすんなりいくことがわかってきましたが)

「子供を支配対象と見ること」については、そうではなくて、同じ理解レベルに引き上げてやろうとして接しています。
これも大げさな言い方ですが、パンツにうんちをしてしまう息子に、「パンツにしたら臭いしおしりについたうんちがなかなかとれないよ」「トイレでひとりでウンとしたら気持ちがいいよ」と言うようなことです。
しつけをdiscipleneと捉えるなら、どんなにおかしくても従わなければならない校則のようで、子供は支配対象になってしまうと思いますが、そうではなくて、子供を大人にするために大人のルールでふるまえるようにしてやろうとすることがしつけなんじゃないでしょうか。

「男の子は子育てが大変」。その通りだと思います。下の娘はこちらの意図をくみ取ってイヤイヤ言いながらも歩み寄ろうとしてくれるのに、上の息子はとにかく1回は母ちゃんの言うことに反対しなければ、という態度です。(これも幼稚園に行くようになって随分変わり「言われる前にできる」などと言っておりますが)
でも、おとなしく賢いご近所の子を見ていると、「反骨の精神はどこ行った?」「親の言いなりでいいの?」などと思ってしまいます。

おとーちゃんさんの仰ることに楯突くようなことばかり書きましたが、構造的な問題があるならば、この際徹底的に意識を再構築したくて思う所を書いてみました。

他の方のしつけ観も是非知りたいです。
よろしくお願いします。

なるほどー

親への要求、確かになーと思いました。
私には2歳半の息子がいます。慎重なタイプなので外食時などは比較的大人しく、おじちゃんおばちゃんにほめていただくことが多いです。
息子に向かって、ぼくおりこうさんねー、と。
そして私に向かって、よくしつけてますねー、と。

息子には「よくしつけられてますね」とは言わないんですよね。
おそらく主な保育者であろう私に対して、「よくしつけてますね」と言うんですよね。
このブログの読者であるので、まぁしつけている訳ではなく、何よりも息子の気質によるところが大きいと認識しています。
でも、しつけなんですよね、品行方正に見えて大人しいのは、いい子でよくしつけられた子なんですよね。
慎重な性格の息子は、お店の中では大人しくしていますが、しかし慎重なためお店の人に挨拶や返事をすることはできません。いい子としては矛盾しているのでしょうが、彼の中ではそれは一つのことです。
家の中ではひょうきんな面もあるんですけどねー。祖父母とも一緒に住んでいないため、なかなか彼の一番可愛いところを見てもらえません、残念だけど仕方がない。
私も規範を示せるよう、挨拶がんばってます。

いつかおとーちゃんの講演を聞きに行きたいです。できれば夫や息子も一緒に!
しつけの概念が廃れていきますように。応援しています。

しつけとは、自分の価値観を押しつける行為だと思っています。

であるなら、しつけは必要ないですね。

自分の価値観を子どもに伝えることはします。

それを受け入れるかどうかは、子どもの自由だと思っています。

自由があるということは、考える余地があるということです。

すぐには上手くいかないことが多いでしょう。

失敗をしたり、困ったりするでしょう。

このときに、いろいろと考えて、自分なりの答えを見つけることでしょう。

僕は、子どもが自分なりの答えを見つけることが大事だと思っているので、

すぐに出来なくても気にならないし、しつけが出来てないと思われても気になりません。




指示が入りやすい瞬間

虐待などのニュースで使われる「しつけ」。あざができるほど殴る。箱に閉じ込める。熱湯をかける。
こういうのって、もはや育児でも教育でもなく、調教です。
ここまででなくても、痛みや恐怖、罰則で縛りあげて言うことを聞かせる「調教」=「しつけ」と私は考えています。

調教しなくても、ほとんどの場合、子供は言うことをちゃんと理解するし、従おうとしてくれます。
ただし、子供がこちらの言葉を聞く準備ができてるタイミングだけです。
必要なことは、ひたすら子供のことを見てることかなと思います。
格闘技で技をかけるタイミングってとても大切です。その瞬間を狙えば技が綺麗に決まるという瞬間があるんです。
子供も同じで、言葉が入る、指示が通る瞬間というものがある気がします。
活発な男の子というのはこの指示が決まる瞬間と言うのがすごく短いし、回数が少ないんです。いわゆるおとなしい子は瞬間と言えないほど指示が入りやすい時間が長く、回数も多いので、大人のタイミングで指示が通るんです。

痛みや恐怖は、この指示が決まる時間を無理矢理作って、ねじ込んでいく作業です。

お父ちゃんさんのいう信頼関係は触れ合いを増やすことで、子供の意識が親に向きやすくなるので、指示が入る瞬間の回数が増えるのではないかなと思います。

言うことを聞かない子ほど、じっくり観察してみるといいと思います。
今の育児で一番足りないのはこの子供を見てないってことだと思います。忙しすぎることもあるけど、公園でも親だけで盛り上がって、ろくに子供の姿なんて見てない人が多いです。

手や口を出さずにとにかくじっくり見ること。悩みの答えは全部その子供がもってますよ。
私は育児で悩んだときは、ちょっと離れて観察をします。

しつけが行き届いているという状態は、結果たどり着くところであって、目指す方法じゃないのだとおもいます。

しつけ

「しつけ」という言葉が一人歩きすると、なかなか理解しづらいところはあるんですが、おとーちゃんのブログを読んでると、なんとなく「しつけ」不要論、わかります。

だって、おとーちゃんのブログ読んでいたら、親ががんばって子どもを「正しい姿」にしていく必要などないですものね。
大人が子どもの横で正しい姿でいれば、子どもは自然とそれを汲み取る、そのために親子のパイプをしっかりとつなげておくことこそが大事なんですよね。
しつけるよりも、親子のパイプを作ることこそ、楽しい子育てにつながり、楽しい子育てを目指せば、自然と子どもが親の思いを汲み取れるようになるはず!ってことですよね(ちょっと違う??すみません、とりあえずわたしのりかいです。)。まぁ、私の子供達がいつ汲み取ってくれるかは、わかりませんが(笑)

最近、子どもの汚い食べ方にうんざりしたり、出したおもちゃを片付ける日々に疲れてイライラしてばっかり。食事時は口癖のように「今日も疲れた〜」とか言っちゃったり、子どもに片付けして!ってキィキィ言ってました。

親子でもっと楽しんで食事をしたり、しっかり子どもと遊ぶことを忘れていた気がします。もっと食事を楽しんだり、しっかり遊べば、そんな中で食事のマナーも自然と伝えていくことができるだろうし、きっとすんなり片付けもできるんじゃないかな。なんて、思ったり。

明日は、きっと晴れるでしょうし、スマホはポケットにしまって、たくさん遊びたいと思います!

しつけって?

おとうちゃんさん、こんにちは
しつけの本質が親への要求、なるほど、納得!です。
押しつけの"しつけ"は論外、よく例えられる、縫い物の"しつけ"は有りかもなあ、と思っていました。
でもそもそも、子どもは大人がどうにかしていく存在ではないはずだから、しつけ、の考え方がもうそぐわないのかもしれないですね。

ちなみにうちの長女は女の子ですが、まったくもってこのしつけの子育ては受け入れません。
頼もしい限りです(笑)

文化の継承と躾は、私は全く別の概念だと思っています。
文化の継承は、大人が体現しているその家庭ごとの文化、地域の文化を、子供が自分なりに吸収していき、その形もその子の理解や時代の流れで変わるものだと思いますが、躾は、そのような子供自身の内的プロセスで変容するのを許さない概念なように私には思えます。

文化は様式行為であるとともに、心地よく、楽しく豊かに過ごす知恵なのかなーと。

そういえば、文章の最後にあった、しつけと、個の尊重の概念のマッチングが悪く、子育てが迷走するというのが、非常に考えさせられるなと思いました。
明確に形にはならないのですが、とても大事な気付きがある気がします。
しつけという、子供の外形的な姿だけに着目して子供自身が理解したり納得したりするプロセスが欠けた概念と、個の尊重という、子供からの反応を重視する方向性を、同時に達成しようとすると、軸がぶれて弱い大人の反応になりやすいという面があるのかもしれません。

ちょっとまとまらない文章で整理がつきませんね…すいません。
おとーちゃんさんの論考の続きを楽しみにしてます。

このしつけシリーズ、ずっと感じていた事が分かりやすく明文化されていて、心中深く頷きながら読ませて頂いています。
「年齢相応」に「させる」させなければ、と事ある毎に感じ、プレッシャーを感じていたんです。いつも「お前のせいだ」、お前のやり方が悪いんだ、と突きつけられているようで…

乳児期に書籍やインターネットで集めた情報から割りと気楽にゆったり見守る子育てをしていましたが、「しつけ」「親の責任」論強い主人が家に居る時間が増えてから、無言の圧力に負けてしまい、なんとも息苦しさを感じながらしつけの子育てに移行していってしまいました。今ではすっかり口煩い母親です。今すぐ、を何度求めてしまった事でしょう。
もうしつけの子育てが染み付いてしまった私ですが、もう一度受容の子育てに戻りたいと記事を読んで思いました。同時にほっとしています。しつけるやり方は子どもにも私にも合っていないと感じていたからです。
何度も読みながら子どもと向き合っていきます。ありがとうございました。


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楽しく無理のない子育てを広めたいと2009年ブログ開設。多くの方の応援があって著作の出版や講演活動をするようになりました。 現在は、子育て講演や保育士セミナーの他、『たまひよ』や『AERA with Baby 』等の子育て雑誌の監修やコラム執筆。『ジョブデポ保育士』の監修や育児相談などをいたしております。

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