2017-08

「幸せ」ってなんなんだろう - 2014.09.18 Thu

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「幸せ」ってなんなんだろうなとときどき考え込みます。

保育士の仕事をしていても、生きることや家族について考えさせられることがたくさんあります。





このまえAの事例を紹介しました。
あれもけっしてなにか子供に明確な成果が表れたわけではありませんが、子供から目を背けそうになってしまっている母親を子供に向き合えるようにしたという点ではものすごく前進のあったこととも言えます。

子供の姿が大変な事例ではあったけれども、それでも将来に明るさのみえる話の部類です。

でも、実はもっと出口のないケースもたくさん見てきています。
そういうのって書いていてもつらいし読んでいても重いのであんまり書けません。
それはどういうものかというと、親が子供の方を向こうとしないケースです。

「子育てや子供の世話が大変なゆえに子供に向き合いたくなくなってしまった」というのならば、まだいいのです。結果として目を背けてしまっているにしても、そこにはまだ悩んだり、試行錯誤したけどうまくいかなかったという足跡はあるからです。
仕事でどうしても子供にまで十分手が回らない。
体調が思わしくなくて子供に関われない。
経済的、人間的問題を抱えていて子供に関わる余裕が持てない。
こういったことも、上と同様理解のできることです。大なり小なり子供自身もそれはいずれ理解ができることでしょう。


でも、最初から確信犯的に「子供に向き合うつもりがない」というケースには、出口になるものも、その子がよりどころとできる何ものか、しがみつける何ものかがありません。
こういうケースには保育士が最大限アプローチしたとしても、「保育園の先生は私のことを認めてくれていた」というとっかかりを残せるか残せないかぎりぎりのところくらいです。



こんな事例がありました。

父母ともに大きな会社の管理職クラスです。
子供は兄と弟。

兄の方は0歳から保育園に入園。
そのときから暖かく子供と関わるという情景を父母ともに見たことがありませんでした。
子供に笑いかけるというようなこともなく、無表情と不機嫌な顔が基本の表情です。
子供がなにか親の手をわずわせるようなことになると、チッと舌打ちをせんばかりの苦虫をかみつぶしたような態度で応じます。
わずらわせるといっても、なにかネガティブな行動や困らせるようなことをしたとかではなくて、おむつ替えとかそういうごくごく普通のことでもです。


比喩的な意味ではなくて、本当に子供に顔を向けるということすらあまりしません。
いつも子供を肩越しに見すかして、「さっさとついてこい、従わないならおいていくぞ」という態度を終始とっています。
子供は親においていかれること・疎外されることをとても恐れますので、その子は必死についていくようになってしまっています。普段からそのようですから、情緒が安定しません。
0歳クラスのときから、泣き、わめく、奇声、かみつき、極度の指しゃぶりなどの情緒不安定さの特徴のオンパレードです。
しかし、親の前では疎外されることを恐れてそれどころではありません。
ただもちろん、完全に「いい子」でいられるわけではなくて、親にも難しい姿というのは出してはいました。ただ出したとしてもそれらは無視や疎外感を与えることで押さえ込まれるのがつねのことになっています。
ですから、情緒不安定さを大爆発させるのは親のいないところです。


保育園から子供への接し方について話をしようとしても、一切聞く気がありません。一応お断りしておくと、継母などではなくて実子です。
でも、子育てが苦手とか子育てに疲れているとかいうような様子ではなくて、むしろ他人の子供をイヤイヤ預かっているというような様子に近いです。
たまたまそういうときがあるというのではなくて、つねに父も母もそのような感じです。
この子が4歳くらいの頃には、「心の動かない子」になっていました。

保育士でなくともこの子を一目見て、「アレ」と思うようなちょっと普通子供ではありえないような様子なのです。
顔にまったく表情というものがありません。
しばしば無表情を指して「能面のような」という形容をしますが、能面ですらよほど豊かな表情と思えるほどの印象を受けます。

その無表情のまま大人の見ていないところで、他児に意地悪な行為をします。ものを隠したり、気の弱い子を支配するような関わり方をしたり、人の疎外感を刺激して子供が嫌がるような言動をしたり。(例えば、〇〇をしたら~~をあげないとか、〇〇しないと~~させない など)

幼児ですから、まだ深く考えずにこの子と関わる子もいますが、これが小学校に上がったらば人が離れていってしまうというのは避けられないことでしょう。
この段階になっても、親は子供に気持ちを向けようとはしません。
クラスの個人面談の期間にも多忙を理由に断られてしまいます。では都合のいい日にあわせますのでいつでもおっしゃってくださいと伝えても、それに応じることはありません。

時系列がいろいろと前後してしまっていますが、1~2歳クラスのときも朝の登園時子供を保育室に入れようともせずに、気づいたら廊下に子供だけ置き去りにしていってしまっていたり、お迎えのときも誰とも(我が子にすら)挨拶も目を合わせることもなくただ来て子供を連れて行くだけだったり、携帯電話で話しながらやってきてただ子供についてこさせるだけだったり。(園にくる前から携帯電話で話しをしながら、園をでてもずっと電話に向かって話し続けている。子供に目を向けることもなく、子供は後ろからトボトボとついていっている。)

この兄が年中のときに第二子を妊娠しました。
「これほど子供を見たくない人なのにもうひとり生むのか」というのがそのときに感じた正直な気持ちです。

母親が産休で休んでいても、兄は一日も欠かさず保育園に連れてこられました。
38度の熱があっても、台風の中もです。
この兄は、年長の頃には親に対する期待というものをもうすっかりあきらめていたような感じでした。

弟も産休明けで0歳から保育園に預けられ、あとは兄とほぼ同じ状況で育ってきていました。
兄よりは感情を爆発させるタイプの子ではありましたが、親の反応というのはやはり徹底的に無視、疎外なので、やはり兄と同様親に出すことは恐ろしくなって2歳くらいで親には出さなくなりました。
その分保育園でだすのですが、兄と違うのは陰湿な出し方ではなくて開けっぴろげなネガティブ行動として出していました。
その分だけ兄よりは人に対する信頼がちょっぴりあったと言えるかもしれません。


兄は小学校に入ってもずいぶん問題を起こしていたようです。
弟も卒園してもしばしば噂が聞こえてきました。こちらは公園などで遊んでいると誰彼かまわずからんでくるというふうで、面識のない乳幼児やその親になにかと関わってくるのですが、その関わり方に子供も大人も不安を感じさせるようなところがあるので、園の保護者の間であの子はいったいなんなのだろうねといった話がしばしばでていました。


この子たちは、他者に意地悪をしたり、悪意を向けたりする理由をたくさん抱えたまま大きくなっています。
そしてそれはこの子たち自身のせいではありません。
そうせざるを得ない理由を親によって持たされてしまったのです。

「いじめ」が問題になっていたときに、まあいまでもですが、しばしば「道徳教育をしっかりさせるように」といった話がよく出ていましたが、この子たちの問題は道徳教育などよりもはるか前にあることでしょう。
学校でするような道徳教育のなにものも心に届くことはあり得ないと思います。

いじめ問題に対して、「道徳教育がなっていないからだ」「叩いてしつけないからだ」といった話を聞くたびに、それを言う人たちはいま起こっている現実の問題を知らないのだろうと僕は感じざるを得ません。
この子たちによしんば「体罰」を与えて正しいことを教え込もうとしても、それは人への信頼を決定的に損ねて、人を恨むことの火に油を注ぐようなものでしょう。



僕はこういった本当に子供に関心を持てない親のケースという問題には出口を見いだせません。

子育ての大変さから目を背けたくて、「子供が見たくない」になってしまう場合であれば、それ以前の段階から適切な子育てについてのアプローチをすることや、難しくなった子育てをたてなおせる方法を伝えることで少しでも子育てを安定化できる方へと導くことはできるのではないかと思っています。僕がいましているようなことです。

しかし、この上のようなケースは昔のお医者さんが「病膏肓に入る」と表現したような、手の施すいとぐちがつかめないというものに思えてしまいます。


僕は「人の幸せとはなんだろう」と想うとき、いつもこの家族のことがあたまをよぎります。
父か母どちらかだけの収入で、普通の共働きの家庭の収入を上回るほどの稼ぎがあります。
金銭的な面でいったら必要十分に豊かでしょう。
幸せの尺度というものが、ひとそれぞれなのはもちろんですから、僕の主観で他者の幸せをうんぬんすることができないということは十分理解しています。
しかし、それでもこの父母の求める幸せというものが一体どこにあったのだろうと、いつも答えの見つからない問いを繰り返してしまいます。
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● COMMENT ●

幸せについて

いつも興味深く拝見しています。一児の父です。
哲学的なテーマですので、少々ぶしつけに私の考えを述べさせていただきます。
幸福とは自己の価値観に現実が沿った状態と言えます。人は多種多様な生存戦略を、更新しながら生きています。
自信の価値観に沿っていれさえいれば幸福なのですから、幸福とは怠惰な安寧にすぎないとも言えるでしょう。
ここで保育士おとーちゃんさんは、この記事のご両親の価値観について、生存戦略としてあまりに不毛であると感じておられることでしょう。たとえ現状がご両親の価値観に沿っていたとしても、それが最適な戦略であるとは思えない、また社会的に正しいとは認められないと。
しかし人は生存・繁殖のみに生きるにあらずです。脳は概念・思想・信条といった、記号(ミーム)の触媒でもあります。遺伝子継承の最適な戦略よりも、社会常識から導かれる結論よりも、自信の思想から来る行動が優先されることはままあります。人は本質的に、生から自由な危険な存在なのです。なんにでも、価値を置くことができます。多くの人間は、概念と肉体の嵐のはざまで身もだえている弱い存在です。
理不尽なミームの嵐に子どもが蹂躙されているとき、それを救うのはやはりご両親の意識改革でしょう。子どもは幼稚であるからこそかわいい、生産性がなくても愛すべき存在であるという価値観を提示することが、我々にできることではないでしょうか。長文失礼しました。

率直な感想

保育士おとーちゃんさん、こんにちは。

気の利いたコメントはできませんが、この記事を読んで感じたことを率直に…。
人それぞれ幸せの価値観が違うとは思いますが、
このご両親はフォーカスイリュージョン(幸せの焦点が幻想化している)におちいっているような気がします。
ご両親自身もこのようにして育てられたのでしょうか。

人は一人では生きられないので、結婚した夫婦の間で子宝に恵まれた以上、人との関わり、子どもとの関わりの大切さに気づいてもらいたいものです。
この2人の兄弟、その後どうなってしまったんでしょうか?


この家族の、目の前にある幸せの糸口が見つかるように願うばかりです。
(返信不要です。)

そういうひといます。



管理職とか収入が多いっていうのは、偏見ではあるけど、多分親自体はいい大学出てたりして賢いんだろうに、子育てに関して知識を得ようとしないのは何故なんだろうと思います。
賢いが故に教わることに対してプライドが許さないのかな。

こどもの無表情って怖いですよね。
親は怖くないのかな。
顔見てないからわかんないか。


関係ないけど、おとーちゃんて早起きですねえ。
毎日何時起きですか?

幸せ

子供を産むからには《子供の幸せ(笑顔)が親の幸せ》と言う風になってほしいですね。

そうでない親が多い事に悲しなります。

No title

こういう人々から見ると、こどもって、単なる足手まといなんでしょうね。
なんだか怖いな。人間には多様な信念や価値観がありますが、彼らが大事にするものは経済的合理性「だけ」って感じで…。
またそういうシンプルな人ほど男社会で上に行けたりするんですよね…。社会的に成功しているから、自らを省みる事も無い。。

自分の生きづらさの原因は親であるとする人に対して「成人したのに親のせいにするのか」と眉をひそめる風潮がありますが、完全に親が原因だし親の責任だって事、たくさんあると思います。

保育士されてると、つらい状況の子供をたくさん見るのだろうなと心が痛みます。
いつかネットコラムで読んだ、「動物が好きで獣医になったのに、動物愛護センターで殺処分に関わらなければならない人」の事を思い出してしまいます。。

幸せとは...

以前読んだ本には、幸せとは、ずっとこのまま続いたら良いなぁと思える状態のことだと書かれていました。
一時的な喜びや楽しみは快楽であって幸せとは違う、と。
 
今回の事例に出てくるお子さんたちは、「こんな毎日が続いたら良いなぁ」とは思えないですよね。
状況を受け入れてはいても、それが継続することは望みたくない状況だと思います。
 
親として子どもを幸せにするにはどうしたら良いのかを間違っているんだと思います。
お金だけがあれば良いわけではないし、両親が揃っていても不仲だったり一緒に過ごす時間がなければダメだろうし、同じ空間にいてもそれぞれに自分勝手なことをして感動を共有できなければつまらないだろうし...
 
お金があって、いつでも好きなものを買ってもらえて、食事は高級レストランやらデパ地下のお総菜で栄養や産地にこだわって、家庭教師や塾でみっちり勉強をさせて、有名大学に入れれば子どもは幸せになれるのかと言えば、そうではないですからね。

そこを勘違いしている人は結構多いんじゃないかと思います。
 
 
手前味噌で恐縮ですが、うちの子どもたちは「就職してもずーっとこのお家でお母さんと暮らしたい」「結婚したら隣の空き地に家を建てる」と言ってくれているので、今のところは私と過ごす日々に幸せを感じてくれているのかなぁと嬉しく思っています。


世界には自分の子を人身売買したり、売春させたり、教育を受けさせない親もたくさんいますね。

今回の両親は冷酷ですが、子供達を食べさせ、衣服を着せ、寝る場所を提供し、教育を受けさせているという点では 、この両親なりの最低限の愛情を示していると思いたいです。

子供達の成長過程で、愛情深い大人や友人に出会えるよう願ってます。

最終的に行き着く先は…

おとーちゃんさん、いつも勉強させて頂いています。
ありがとうございます。

今回の記事を読んで、親が子どもに向き合わない結果、最終的に行き着く先として下記の事件の犯人の最終意見陳述が想起されてしまいました。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140718-00037501/

幼児教育の重要性を社会に訴えていきたいと強く思います。

No title

資産家が年に10人子どもを作りたいと 財力と外国の制度の不備を利用して子孫を増やす行為をしていましたが、その人は生まれてきた子にお金を投資して養育義務は果たしていましたね。

人間の子どもが欲しいという欲望と、子どもを育てたいという思いは別のものだと思いますが、自分に対する思いと我が子に対する思いは往々にして似たものですから、このご両親がそれぞれご自身に対して子どもさんたちへの扱いと同じような扱いをしているのではないでしょうかね。そういう方は根っこのところで、自分を見捨てているような気がします。
このご両親がどんな企業でどんなお仕事をされているのかはわかりませんが、お金があるなら 家庭で保育をになってくれる専用の人、昔で言うところの乳母という存在がいればよかったのに、なぜ公的保育にこだわられたのでしょう。ご本人たちも送迎の負担があるでしょうに。 時はすでに遅いですが、他人であれ、慈愛のある特定大人とのあいだに愛着関係ができていれば、随分ちがったのではないでしょうかね。

よくわかります

はじめまして。いつもブログを読んで勉強させていただいています。
私は小学校の教員をしていて、今は育休中です。
おとーちゃんさんの言われていること、本当に本当に、よくわかります。
今回の記事のようなご両親の心を変えていくことは、本当に難しいです。というよりほぼ無理です。
子どもの可愛らしさや成長を、どれだけ伝えても、全く無関心…立派な虐待です。
私自身こういった子たちを目の当たりにすると、自分の無力さを感じるとともに、乳幼児期の保護者からのあたたかい関わりがどれだけ大切であるか、思い知らされます。
そこまでいってしまうと、もう他人が何をもってしても、うめてあげることができないんですよね…辛いです。

答になってませんが…

この記事での家族にとっての「幸せの価値観」は、歪んでいて修正できないのかも知れません。
でも、こうしておとーちゃんさんが、辛辣な事例として記事にする。
そして皆が「幸せって本当に何だろう」と考える。
そこには大きな意味があるのだと思います。

正直、このブログで私が一番ガツンと来るのはこういった辛辣な事例です。「〇〇が出来ないから何だっていうんだ!私は子供の心を守るんだ!」って自分を叱咤できるんです。

悲しいことかも知れないですが、歪んだ幸せの一方で、それを目のあたりにした他人が、幸せの軸を前よりも安定させる。
それがゆくゆくは社会全体のセーフティネットを強め、子供たちに返っていくことを願います。
返信は不要です。

No title

考えさせられる記事ですね。
長文ですいません。

自分の時間を自分以外のことに取られること、子供の世話に割くことが、とてつもなく嫌なのでしょうか。
自分の時間を、自分の事だけをして、自分のためだけに使えばいい、という発想が極端に強い人なのかもしれません。

こんなことを書くと語弊が有りそうですが、私は気持ちとしては解らなくもありません。こんなことはしませんが(笑)。
一時期、時間の使い方や目指す価値観が、育児と、今まで身を置いてきた社会(職場や学校)とは全く種類が違うことに、正直戸惑い懊悩しました。今思うと、仕事の達成にとって価値のないものは視界の外に追い出して自分の作業に完全に没頭してても成果さえ上がれば文句言われない価値観からの転換を迫られたのだと理解してます。大人だと、コイツ嫌な奴と思っても成果さえ出せば付き合いを続けますし。
そして、そこに価値観の違いがある事を意に介さないタイプの方なのかもしれません。その方がグジグジ悩まずにプチ出世はできるでしょうし…(めっちゃ偉くなれるかどうかは微妙ですが)。

そういう人は偏見かもしれませんが、情動的で論理的でない分野を軽んじる傾向も有りそうなので、保育士は自分の妨げにならないように自分の子供の面倒さえ見てれば良く、それ以外の事はビジネスの埒外でしゃしゃり出て来なくて良いと思っていそうです。保育士から有益な話を聞けると思っておらず(多分聞いてもゴタクを並べてるとしか理解できないでしょうし)、自分の貴重な時間を割く気持ちにもならないのかもしれません…。子供も親の前では従順なようですし…。

社会的に成功してる、結婚している、仕事と家庭を両立してる、標準的な数の子供を産んで育てている、そういうものを社会的なタスクと捉えて、外形の帳尻が合うように、貪欲にタスクを次々とこなしていってるのでしょうか。

そういう幸せもあるのでしょうけど、ニュースとかを見ていても直接的には言いませんが結果的にそういう方向を推奨しておられるお偉方も多いような気もしますが、私が欲しい物では無いです。

今後どんな社会になっていくか分かりませんし、どの方向が望ましいかも分かりませんが、私の子供がそういう幸せを追求して再生産している人の餌食にならないように祈るばかりです。

幸せとは…

私も最近よく考える事です。幸せって何だろうって。子供の幸せを願うのが親ですよね…。
目の前にいるのに、子供の姿が全く見えてないんですね。一度でも見る気があれば、必ず気づくと思うけど、二人とも気付かないのですね。
読んでて胸が苦しくなりました。子供が気の毒で。。
しかしまたこの親たちもそのような価値観にならざるを得ない教育を受けてきたのかなとも…。それでも、いくらでも改めるチャンスはあったと思うのですが。
或いは、子供達が今後より大きい問題や事件をおこすようになって、そういう機会が巡ってくるんでしょうか?
それでも自分達の責任ではないと言うのでしょうか…。

私の考える幸せというか、子供にこうなって欲しいという像は、ここのブログを読ませて頂いて、少なからず変わったのではないかと思います。。
今は、息子には、自分を好きになって、楽しく生きていって欲しいと言うのがいちばんです。
そのために私ができることを子供と関わりながら、考える日々です。
きれいごとではなくて、本当にそう思うんですよね…。
お金は最低限生活できれば、あとはあまり変わらないかなと思います。
収入増えると支出も増えますしね…。
お金より笑顔が多いほうが、幸せですよね。
いつも貴重なお話を、ありがとうございます。

以前留学関係の仕事をしていましたが、こういうお客様がたくさんいました。お医者さんや弁護士、会社役員や社長などステータス、お金があり子供にも恵まれはたからみたら幸せなんだろうなと言う方々なんですが、子供には無関心だったり甘やかしたつけで手に負えなくなり中高で留学させるのです。
臭い物に蓋をするように、、留学すれば世間体が良いですし、自分達が世話をしなくて良いですからね。

そんな人達は留学の準備は人任せで秘書が代理でする場合もよくありました。何か問題があっても、私は何も言えないので代わりに叱ってくださいと言われる始末。
そんな子供達に色々言っても、どうせ仕事だから私に構ってるんでしょと言う態度です。
でも何度も何度も働きかけて本当に叱ったり誉めたりすると、びっくりするほど子供っぽい感じで素直に心を開いてくれることがありました。
そんな仕事をしている時、よく幸せってなんだろうと考えていました。色々手に入れている人達がなぜ家族に関してはきちんと形成できてないのか?と考えたのですが、そもそも子供が欲しくて授かったわけではなく、子供がいるほうが自分のステータスに有利で世間体のためだったのではないかと思いました。

今回のおとーちゃんさんの事例の人達も子供と生活がしたいのではなく、世間一般によくある二人兄弟がいると言う事実さえもてればよかったのではないでしょうか。

この先どのようにこの子達が成長していくのかわかりませんが、心ある人に出会え乗り越えて行ってくれるのを願うのみです。
ただ、先日こちらのコメントで紹介されていた某事件被告の最終陳述を私も全文読んだのですが、それと今回の事がリンクされて心が痛いです。この最終陳述、保育や教育に関わる人、親でも読んで色々考えた方がいいですよね。

ここまでの事例ではなく、子供を可愛いと思いますが、わたし自身も日常的に疎外感や無視することをしてしまいます。
意図的に子供と向き合うことを避けてしまう。

今日も一時保育のお迎えの時、なかなか帰りたがらない娘がいました。おとーちゃんさんのいわれる「預けてる間に我慢し頑張ってきたこと」を認めてほしいのかと思い受け止めていましたが、それでも足を地面に突っ張ります。
やっと駐車場の途中まで行ったのにトイレと言うので、保育園に逆戻り用を済ませ外に出ても思うようになりません。
立ち止まることにはいつも待ちます。
楽しいことを提案したり、はたまた疲労か眠たいのかと思い抱っこをしても、わたしの顔を叩く、好きないと反抗する、それもハイハイとあしらいます。
それでも抵抗。為す術がなくなると最終的にわたしが切れて、今日は車まですたすた歩いていき、エンジンをかけました。慌てて泣きながら来ます。
なぜ、ここまで労を尽くしてるのに‥泣いてしまうのになぜごねるのだろうか、情けないですが、「そこまで泣くなら最初から来なさい!」と玄関で放置し、ないても無視をして用事をしていました。
頭の中では、ここで温かく対応しなきゃとか、子供の気持ちを考える自分がいるのですが、もう疲れてしまうのです。
こちらの方が泣きたいくらいです。
怒鳴るくらいなら無視をする方がいい、そう思うようになりました。


さーちゃんママさんへ

お気持ちわかるような気がします。
子供に泣かれたり、母の気持ちを試すようなことをされると、ついイライラしてしまうことがあります。
おとーちゃんさんのブログにたどり着いたお母さんは、この記事で言えば子供に向き合っているお母さんなんだと思います。それでもやっぱり子供との関わりかたに困難さを感じてしまう…自分なりに子供を受け止めているつもりなのに…。
私の場合、うちの子はもしかしたら平均以上に愛情を感じる器が大きいのかもしれないなぁと思うようになりました。いえ、思うことにしました。
私が示す態度では彼は満足しなしないので、言葉だったり、表現も、今までしたことのないくらい大袈裟にしています。多分私は言葉や態度で相手に感情を伝えるのが苦手な人間だったからです。
もし、気力が残っておられるならば、もし、こんな人間のことを身近に思っていただけるならば、どうかもう一度、無視ではなく大袈裟な程の愛情表現をお子さんにしてみていただけたらと思い、コメントさせていただきました。
筋違いの意見てもあればスルーしてもらって結構です。
さーちゃんとさーちゃんママさんが笑顔で過ごせていますように。

幼稚園について。

おとーちゃんさん、いつも興味深く読ませていただいています。
9月も終わりに近付き、10月には幼稚園の願書をもらい11月には申し込む、そんな季節になってきました。
うちの子どもも気づけばもう来年から幼稚園です。
幼稚園えらびで悩んだり、子どもの様子をみながら四月を思うとなんとなく不安に感じたりもしてしまいます。
家で自由に暮らしていた子どもたちが、毎日一定の人数の中で過ごしたり、決められたことをみんなでしたりするのだから、幼稚園へ通い始めは慣れなかったり不安になったりするものだろうなとは思います。
親の不安を払拭すべく、登園したころのむーちゃんの様子やおとーちゃんさんの受け止め方などを読み返したりしていました。そして、半年経った今のむーちゃんが楽しく幼稚園に通っているのかなぁ?その様子を知りたいなぁと思いました。むーちゃんがお友だちと楽しく遊んだり、そんな園でのことをおとーちゃんさんや家族にお話したりしている様子を聞かせてほしいです。
おとーちゃんさんがよく書かれているように、先取りして心配したり悩むことではないのかなとも思います。子どもには変化を受け止めて成長していける力があるようにも思います。だから、なにか起きてから子どもの様子をまるごと受け止めていく穏やかさを持てたらいいなとは思うのですが、ついつい揺れてしまうのが親心だったりもします。
不安に感じる半年後ではなく、もっとその先の楽しい未来を思い描きたいです。むーちゃんの力強く生きていっている様子を教えていただけたら嬉しいです。

子供にも幸せを

いつもブログを読ませていただいています。
今回の記事はとっても胸が苦しくなる内容でした。
出口の見えない問題、でも目を背けてはいけない。

「幸せ」とは人それぞれですが、自己肯定感、自分が精神的に満たされたいないと感じないものなのではないかと思います。そして幸せを感じる材料が何かということも人それぞれなのだと思います。

この記事のご夫婦は、大事なものは現在の仕事やステータスか、それ以上のものを目指すことで、それはその人の価値観なのでいいのでしょうけど、子供がその中に入っていないというのが悲しいですね。
このご夫婦にとって子供もある意味ステータスとしての存在でしかないように感じてしまいます。
価値観は変化します。人と出会ったり、結婚したり、子供が生まれたり、etc. 本を読んだだけでも変わります。価値観が変われば大事なものも変わってくるのでしょうが、このご夫婦はきっと子供が生まれたことでは変わらなかったのでしょうね。
そして保育士さんは価値観が変わらない人に一生懸命働きかけて、何とか子供に目を向けるように頑張られている。素人からみたら職域を超えているのではと思いますが、やはりその子のために、その子の未来のためにはやる必要があることなのですね。 子供にも幸せを感じてほしい。

知り合いに仕事をすることに価値を見いだせず引きこもっている人がいます。(いろんな要因が重なっての結果ですが)
いくら周りが働きかけても、働くことに意味がない、価値がないと思っている人を動かすことはできませんでした。
そのように出来あがった価値観などを動かすということは本当に大変でなかなか成果の出ないもので歯がゆいです。

とみむらさんへ

ご提案ありがとうございます!!
コメントに目を通して頂き嬉しいです。

娘を受け入れる器が小さいのでしょうね、自分自身も受け止めれませんから。
無視するどころか、怒り叩くことも時にあります。
昨日は、「ママはあなたのことを怒りたくないし、叩きたくないから出ていくね」と言い、家を少しの間出ました。
本当に逃げ出したくなりました。

数分で冷静を取り戻し家に戻りましたが、、。

親は一度なるとやめられないですね。




幸せ

はじめまして、いつも興味深く読んでいます。1歳の子どもがいます。
子どもがいない頃、幸せとは人の幸せを願うことではないか、人を幸せにすることではないかと考えていました。
子どもが生まれ、そんなことをぼんやり考える暇もないほど忙しく過ごしていたことに気付かされました。
子どもの本当の幸せのための育児をしたい。そうやって悩んだり考えたりできる親は幸せですね。

今回の記事、本当に考えさせられました。
そして、皆様のコメントも胸を打つものばかりでした。

悲しく切ない事例ですが、
私の周りにも(地方都市住まいです)
このようなことはたくさんあります、、、。
大人の価値観は簡単には変えられません。
こどもには乗り越えるべき壁が
大きすぎて、
「乗り越えて」というのが言えなくなりますが、、、。


私はバリバリのキャリア志向で、
仕事人間でしたが(恐らく今も、
復職したらそうですが)
家庭の事情や自身の体調不良により
休職しています。
仕事で認められることは
「幸せ」だったし
優越感にも浸れますし、
優先事項になってました。
体裁もいいし、稼いでいることで
自分を肯定していたんでしょう。
今考えると悲しい生き方の気もします。

休職して、なんとはなしに
見上げた夜空の月が本当に綺麗で、
「こんな時間あっただろうか」
「この先、家族や友人と
どれだけの時間を楽しく過ごせるんだろうか」、
とふと、そしてしみじみ感じました。
それが、私のターニングポイントだった気がします。
至極個人的で情緒的な体験で申し訳ないんですが、、、
事例のご両親にも
そんな体験があって欲しい、と
切に願わずにはいられません。

幸いなことに私はこどもに恵まれ、
このブログに出会うこともでき、
こどもが真っ直ぐこどもらしく育ってくれたことに
毎日毎日幸せを感じています。
幸せの価値観はそれぞれ違いますが、
肩書きや物、ステータスなどでなく、
災害が起きても、
たとえば私が急死したとしても、
子どもの心に「よりどころ」として
かっこたるものがある、
それぐらいの、日々をすごさせてあげたいと
思っています。


みなさんの熱いコメントにふれて
ついつい書いてしまいました。
乱文拙文すみません。


初めまして

いつも、こそこそっと拝見しています。
私自身が機能不全家族で育っており、虐待によるPTSDもあり
連鎖を繰り返さない様にと、ブログで勉強させて頂いてます。

子どもからしても凄い思うんですよね、どうして生んだんだろうって。
多分世間体が気になるだけでしょうけど。
その子の様子も、昔の私そのままでとても他人事ではなくて
ついコメントしてしまいました。

私も家族に愛情を求めるのは諦めて、成人する前に自立し
運良く理解してくれる人に出逢え、母となり、親を反面教師にして
人生で1番幸せに楽しく暮らしています。
どうかその兄弟にも、自分を理解し支えてくれる人が現れる事を願うばかりです。

急に寒くなってきましたが、風邪等にお気を付てご自愛下さいませ。

さーちゃんママさんへ

横からすいません、気になってしまって…。
私も、さーちゃんママさんのお気持ちよくわかります。
基本的にはおおらかに構えるよう心がけているのですが、あまりに子供がワガママ言ったりするといらっとしてしまって、怒鳴ったり、酷いことを言ったり、手をあげてめちゃくちゃ後悔した事もやっぱりあります…。
日頃子供に合わせている反動も多少あるのだろうと思うのですが、私も元々短気な性格なので…。どのくらいが無理ない範囲なのか、自分でも手探りが続いていたりします。。

今回さーちゃんママさんは、お子さんに自分の思いを伝えて去られたので、それで良いのではないかと思います。
私も、きつい時はそう言ったり、子供に悪いことをしてしまったと思ったら必ず謝っています。
あまりにいらっとしたら、ちょっと頭を冷やしたくて、ちょっとごめん…と言って少しの間ネットやテレビを見たり(これが私は一番早く気分転換できるのです)…。
少しして戻って謝ると、子供は、もっと早く来て欲しかったとか言ってくれます。私も泣きながら謝ったりします…。そのくらいでという感じもしますが、その時は必死なんです…。

子供というのは、必ず親を許してくれるので、心が広いなと思います。
だけど、それに甘えてしまってもダメだと思います。
子供の心がひとつ傷ついたと感じます。そのぶん、埋め合わせるように他で対応したりするのですが…。子供の好物を作ったり、たくさん抱っこしたり…。

叩いたりすると、癖になりそうで怖いですよね。もし叩く時は頭でなくお尻をと、夫に言われました。
頭を叩かれるのはたしかに子供にとって怖いと思います。
私も、やっぱり叩かれたことありますが…上からくると怖いです。
お子さんの事がかわいいと思える瞬間はありますか?
あるなら大丈夫だと思います。
何も考えず、家事もひとまずほったらかして、子供とのんびり遊んでみると、何だか愛しくなってきたりします。
疲れ気味な時は、私はそうしています。
お子さんをかわいいと思える瞬間が、増えるといいですね。
お互いそれがいちばん幸せだと思います。
偉そうにすいません…。
キツイ事もありますが、私も日々悩みながら子育てしています。この場を支えに、お互いがんばりましょう。
辛いときはまた聞かせて下さい。私もこの場では正直に気持ちを言えて、心の安定につながっている気がします。
長々余計なお世話で、本当にすいません…。

まろ姉さんへ

温かいお言葉ありがとうございます。
余計なお世話だなんて、とんでもございません!!気持ちを代弁してくれたかのようで嬉しかったです。

わたしも冷静になるにネットか別室に移動でした。出て行ったのは初めてですが、叩くのと同様一度すると常習になりそうで怖いです。
戻ると娘は玄関先で泣いて、わたしを探そうと外に出る手前でした。寝る前に「ママのこと好きだからね」と言ってきました。たった2歳の子供に気を遣わせてる自分。。
わたしの方がこんなママでも好き?と愛情を確かめてるようです。

子供にまた傷をつけてしまったと後悔と反省を繰り返し、2度としないと誓い何度も何度もおとーちゃんさんのブログを読みどうしたらよいかノートにも書き込んだこともあります。
ちゃんとしよう、もう2度と傷つけないようにと誓えば誓うほど、埋め合わせをするほど苦しくなりエスカレートしています。
まるで、DVのよう‥。


元々、娘に対し何かしてあげなきゃ!という思いが強いです。主人には普通にして、構い過ぎと言われました。わたしの機嫌の良い時は構い過ぎるくらい構っているのです。
さじ加減が分からないんでしょうね。

でも思うことは、お母さんが穏やかにいてくれることが子供にとって一番では?と。
いつも笑うことや良いお母さんでいることは無理でも、娘を置いてきぼりにして不安にさせたくない。
ただ、いるだけでもいいのかな、と。
子供のことは本当に可愛いです。
ひとまず、何かを与えるはおいといて、娘と遊んでみようと思います。

支離滅裂ですみません。
まろ姉さんから頂いたコメントを読みながら、またコメントを返しながら気持ちが整理されてきました。ありがとうございました。












No title

こんにちは。

先日息子のお迎えに保育園に行った時に、ある子供が背中から飛びついてきました。
おんぶして、と言われておんぶしてあげたのですが、ちゃんと抱っこしてあげるよ、と高い高いをして抱っこしてあげたら、いつもは無表情のように感じてましたが、とてもニコニコいい笑顔をしていました。

その子のお母さんともお話したことがあり、ちゃんとされた方で、色々な要因があって、子供が寂しい思いをしてる時があるのだろうな。と思うのですが、今回の記事で出てきた子も、その子も、他人が根本的な部分をどうこうできるものでないし、母親に対する欲求を他人が変われるものではないですが、これから生きていく中で、少しでも他人でも良いから、良い関わりをしてくれる人がいたらいいなあ、と思いました。

でも、その子を抱っこする姿を見た息子が、ショックを受けていたので、やっぱりまず自分の子をしっかりおんぶ、抱っこしてあげにゃ、と思いました。

お返事は不要です。

1歳2ヶ月の息子を保育園に預けて働く母です。
育児に行き詰まった時には、いつもこちらのブログを参考にさせて頂いています。

今回ご相談したいのは、息子のクラスのお友達のことです。
執筆活動等お忙しいとは思いますが、お時間のある時にご意見を頂けましたら幸いです。
このブログの事例程ではありませんが、ご両親共にお仕事が忙しいようで、傍から見てもほったらかしで子供にはあまり興味がないように見受けられます。
それだけなら大きなお世話なのですが、そのお子さんが息子にひどく執着し、気がつくと息子に貼りついていたり、のし掛かっている時も多くあります。
またその際つねられたり噛まれることも度々あり、ほとほと困っています。
先生も気をつけて引き離して下さるのですが、間に合わないことも多いです。
集団保育を選択した以上、友達同士のケンカや小さな怪我はある程度覚悟していましたが、その子の行動が年齢的なものなのか寂しさからくるものなのか量りかねています。寂しさからの行動であるなら、0歳児クラスの現在ですらこんな様子ですので先が思いやられます。
私も我が子のことだけで精一杯で『その子の器にもクッキーを満たしてあげよう』などおこがましいのは重々承知しているのですが、息子の為にも何か出来ることはないかと考えてしまいます。
今後どのように関わって行けば良いのか、または中途半端に関わらず先生にお任せする方が良いのかご教示いただければ幸いです。

さーちゃんママさん

「先回りした関わり」で述べているように、このようにネガティブ行動を出してからの対応をうまくやるのは至難の業です。

だからこういうときの対応でいちいち悩まずに、それ以外の気持ちよく関われるところに意識を持っていった方が子育ての安定につながります。

ようたんママさん

>先日息子のお迎えに保育園に行った時に、ある子供が背中から飛びついてきました。

大人に受容してもらえるかどうか自信を持てていない子は、しばしばうしろからくっついてきます。

こういうケースには、「前からおいで」と向き合って関われる経験をさせてあげます。

きっとその子はようたんママさんならば受け止めてくれると思ってくっついて来たのでしょうね。

もりりんさん

いろんな状況というのがありますからね。0歳でもやはりいろいろでてきます。

もし、その子に関わってあげたいというのであれば、

1, 好意的な視線で見てあげる
2,その子が見られていることに気がついたら、にっこりとほほえんであげたり、うなずいてみせる
3, それを何日も続けていると子供は「この人は受け入れてくれる人だ」と認識して近寄ってくるので、できるときならばくすぐってあげたり、関わりを受け止めてあげる

そんなちょっとしたことからしてみるといいかと思います。

No title

お父ちゃんさん、お忙しい中お返事ありがとうございました。
おおっ!と驚いてしまいました。

先日のコメントを書いてから、そもそもその子が、知らない人にいきなりしがみついておんぶして、と言えること自体は素直でいいんだなあ。と思ったり、その次にその子にあった時は(その時もおんぶと抱っこしたのですが)前回よりは元気そうで、私の考えすぎで、そこまで深刻ではないのかと思いました。

色々その子やお母様のことを考える前に、その子に会った時は、ただ人対人として、おんぶしてと言われたらおんぶして、「おばちゃんは、前から抱っこお願いしても大丈夫だよ。」と伝えてみようと思いました。

どうも、ありがとうございました。
お返事は不要です。


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