2017-04

言葉を使う - 2014.05.25 Sun

「言葉を使う」なんてあたりまえのことのようだけれども、わりと多くの人が子育ての中で言葉を使うことを忘れてしまっているか、気づかないでいます。








例えば、子供がゴネゴネしているとき、大人はそれに対して別のことで気を惹いたりごまかしたり、強く言ったりなどをして子供を「どうにか」してしまおうとします。

それらの言葉の使い方は、どれも結局のところ子供を「どうにか」しようという意図のものであって、大人からの一方的な言葉であることが多いです。


今回ここで言っている「言葉を使う」として言っている「言葉」というのは、

「私」としてのメッセージの言葉であり、また子供に自分の気持ちを問うように投げかける言葉です。


「私としてのメッセージ」とは、例えば、

・私はあなたにどうして欲しいと思っている
・私はいまのあなたの状況をどう思っている


「子供に自分の気持ちを問うように投げかける言葉」とは、

・あなたはどうしたいのか?
・あなたは今の状況をどう思っているのか?

などです。



子育てしていると、子供を「どうにかして」させなければならないこともあるけれども、でも、子供というのも一個の独立した人格であって、実は小さい子でもいろいろなことを理解して考えているし(即行動にはつながらないとしても)、自律的に動くこともできます。

でも、大人の関わりが子供を「どうにかする」ことばかりだと、子供が自分で考え自律的に行動するということをしなくなっていきます。
むしろ、「どうにかされる」ことに対して、「どう抵抗していこうか」という方へと駆り立ててしまうこともあります。

だから、言葉を「どうにかするため」だけに使うのではなく、私はどう思っているかとか、子供の気持ちを汲もうとする姿勢で使ったりをしなければ、言葉の価値というのは子供にとってどんどん下がっていきかねません。



いまのは困ったとき、子供の難しい姿の時を例にあげましたが、そういうときばかりでもありません。

僕はよく、「○○ちゃんのそういうところ僕は好きだよ」とか、一緒にじゃれて遊んでいる時など「そういうの可愛いって思うよ」など、自分の感じていることを言葉にして口に出します。

あんまり思ったこと、感じたことを軽々しく口に出さないというのは日本の文化的な習慣なのかもしれませんね。
イタリアなんかだと逆に感じたことを何倍にも美辞麗句にして伝えるという文化がありますよね。

子供を相手にするときは、以心伝心みたいなものは機能しないこともあるので、やはり言葉にして伝えるというのは大切なことだと思うのです。


気持ち、感情というのはやはり「ある」だけではなかなか伝わらないもので、結局のところなにかの行動としてださなければ、いくらあったとしてもそれは他者から見たときの「ある」にはなりません。

だからこそ言葉を使うことというのを忘れてならないと思います。
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● COMMENT ●

アイスを買うのに

昨日、もうすぐ6歳の娘にアイスを買うのに、あっちにしようかこっちにしようか、ずーっと迷っていて、イライラしてしまいました。
最近、おやつを1個だけ買うのも、やっぱり迷って、待たされてイライラします。
つい「はやくして、もう会計しちゃうよ」「選ぶのが大変ならママが買うよ」など言ってしまいます。
あるとき、電車に接続するバスがあり、バス発車直前にトイレに入り、ほかのひとが全員乗っているバスの発車を待たせているのがわかっているのに、あえてゆっくりなんども紙を使っていたりして、なんだかせかせるのが裏目に出てきている気がしてきました。「もうバスいっちゃった?」など聞きながらゆっくりしています(涙) トイレでこんなに時間がかかったのはそのときだけでした。

どんな言い方がいいんだろう?
とおとーちゃんの今回の記事を読んで考えてみました。

私の気持ちを伝える言葉
「ママはずっと待っているのがつらい」
「ママはあなたがわざとゆっくりしているように見えるのがつらい」
「どんどん時間が遅くなるのにママあせるなあ」

娘の気持ちを汲む言葉
「ゆっくりしたいんだね」
「ゆっくり選びたいのはわかるから、時間のあるときは、ママイライラしないように離れて待っててもいいかな」
「もういいね、ママあせらせるのはいやだから、次のバスにしようね。30分待とうね」(でもこれは本心では嫌です…)

ほかの肯定的なかかわりを増やしていきつつ、がんばります。

No title

言葉について、こちらのブログで知って大収穫だなあーと思っているのは
「甘えたいならゴネゴネしないで素直に甘えな」とか「その言い方いや。もっと可愛く言って」みたいな話し方のことです。

否定よりも適切なやり方を教える、という事は心がけていたつもりですが、可愛い言い方を教えるとか、発想がなかったです。
小さい子ってちゃんとやってくれるんですね。

「それ取ってよ!早く!じゃ、ママ嫌な気持ちになる。ママそれ取って~☆って言って。」「ママン、それ取ってぇ~ん☆」「あぁん可愛い!はいどうぞ!」というミニコントのような事を3歳児と出来るなんて・・・
とっても目からウロコでした。

No title

おとーちゃんさんこんばんは!いつも楽しみさせてもらっています。

私もこのブログを読んでいて、まだ1歳過ぎくらいで殆ど喋れなかった息子が、イライラしたりしてきーきー言ってしまう時、大好きな「ポコポコの〜」という絵本があるのですが、「そういう時、ポコポコって言ってみたらいいよ〜」と言っていたら、それから殆どきーきー言うことはなく、時々「えーん…ポコポコ…」なんて言ってて可愛くてこちらも余裕が持って対応できました。自分がきーきーしてるのを客観的に捉えられているのかな?と思うと頑張っているなぁとも。

今は1歳8ヶ月になりましたが、絵本が大好きで、絵本のセリフを拾って続きを読んでくれたり、お喋りをするようになり毎日びっくり&面白がらせてくれます。
私「今日のはカブ買おうか〜」子「カブ!どっこらしょ、まだまだ〜(おおきなかぶ)」みたいな^^
息子の、日々進化している姿を見ると自分もまだ進化していきたいなと思い、なんでも吸収する姿を見ると、家庭を心地良い言葉や会話でいっぱいにしていきたいなと思います。

また、以前の記事で「ねんねトレーニングは言葉ではっきり伝えあう欧米の文化には合う部分もある」というようなことを書いていらっしゃたかと思いますが、確かに関わりにメリハリがあると思います。(ベッドが狭くて添い寝が難しいなど住宅環境事情もあるかと思います)知らない人からでもベタベタに可愛がってもらったり褒めてもらったり、逆に叱ってもらったりすることがあります。

ロンドンにて今まで家族3人で暮らしてきたのですが、今年の夏から第二子出産のため日本に半年ほど帰ります。(体力的に限界のため;;)息子も私も(笑)大好きなお父さんと離れて暮らすことになるのが、また、日本の育児環境は初めてですが、少し心配ですが、先回り心配は無用!ということで、どんな形でも楽しめたらいいなぁと思います。

自分のことばかり書いてスミマセン!これからも楽しみにしています。

No title

いつも更新楽しみにしています。

>子供を相手にするときは、以心伝心みたいなものは機能しないこともあるので、やはり言葉にして伝えるというのは大切なことだと思うのです。

本当にイライラ、焦りなんかはすぐに伝わってしまうのに
嬉しい・楽しい・大好きだよ・褒めたいの気持ちは言わないと伝わらないなぁと日々実感します。

おとーちゃんのサイトを見るようになってから、大人だからイライラを我慢して子供にニコニコの優しいママを演じる(自然にそれが出来るのが一番ですが)のは、この子には私の気持ちが分からないと下に見てることになるんだと思えるようになり「それを続けると、ママは怒ってしまいそうだよ」と伝えることができるようにました。
もちろん、プラスの感情や出来たことへのフィードバックも忘れずに伝えるように心がけています。

そよかぜ号さんのエピソードに近いかもしれませんが
我が家は川の字で就寝します(パパ・2才9か月息子・ママ)が、昨晩は3人でゴロゴロ端から端まで転がって遊んでいたら「パパ!あっち行きなさい!!(怒)」と。
「ママの大好きなパパにそんな言い方したら悲しいよ。もう少し優しく言えると、パパも気持ちよく向こうに行けるんだよ」と伝えると「パパ・・・あっち行って!・・・よ」 『よ』だけ優しく言っていました(笑)

私の気分にムラがあるので、良い時にたくさんプラスの関わりを貯蓄しておきたいと思います(*^_^*)

ご無沙汰してます

以前、2歳の息子について相談させて頂いてからお礼の返信もせずに申し訳ありませんでした。

昨年の11月に仕事を始めたため、今では3歳半になる息子と1歳七ヶ月の娘には保育園に通ってもらっています。
3歳を迎えた頃から息子の成長期も落ち着きを見せ、活発ではありますがとても素直に成長してくれています。
話が上達してきた事と、現在一学年上の子どもたちと同じクラスで生活しているせいか、子供が使っても可愛くない言葉の使い方をするようになりました。
もちろん、周りの大人の影響もあるのですが(ーー;)↑のような言い方をされた時は、そのまま、「子供が使っても可愛くないよ」と言ったりします。

私自身、今だに感情的に怒ってしまい、息子を受け入れない態度を取ってしまったりするのですが、その時は「プリプリ母ちゃんお山に飛んで行け」「ニコニコ母ちゃんになって」といってくれます。
私の機嫌が良くない時や朝起きた時など、「母ちゃん大好き!」とよく言ってくれるのですが、これは息子がそう言って欲しいからなのでしようか?
なるべく「私も大好きだよ!」「ありがとう」と応えるようにはしているのですが、何かをやりながらや、相手の方を向かずに口に出したりしてしまうのはやはり良くないですか?
まだまだ彼の心を満たしてあげるために、努力が必要だとは思っても、自分も話す事が得意で無いので、伝わる言葉の使い方がなかなか上手く飲み込めません。
1〜2才の大事な時期にテレビに頼ってしまい、一緒に進んで遊んであげなかったせいか、家では一人で遊びこむのが難しいようです。
最近は夕ごはんの後なるべく一緒に遊ぶようにしていますが、しばらくすると「テレビみたい」となってしまいます。
テレビに頼らずに遊びこむようになるにはどう相手をしていけば良いですか?
上手く文章がまとめられないのですが、またアドバイス頂けると嬉しいです。



さっそく使ってみました!
意地悪しているのを見た時、「先生はそれ意地悪に見えるんだけど、どういうつもりでやってたの?」
というと…
「え?そう見える?そんなこと考えたことなかったけど考えてみたら○○君可哀想やったわ」と言う子もいれば「だって○○君いつも嫌なことするから…」と言う子もいて…
奉行所のように裁くよりはずっとずっとじっくりやった事について、考えることが出来たように思います!いい事を教えてもらいました!

でもそれだけじゃなくて、意識としても、子どもをどうにかしてやろう!という言葉ばかりじゃないように気を付けていきたいです。

こたつ猫さん

そのあたりを臨機応変に大人の気持ちに照らし合わせながら(大人が自分に嘘をつく必要はない)、強い関わり・優しい関わり、プラスの関わり・マイナスの関わりを組み合わせて行けばいいのだと思います。

なんでもかんでも尊重するばっかりでなく、大人が本心から同意できないようなときには、「私は怒っている」という感情を見せるのも必要なこともあります。

そういうのを子供の様子、大人の気持ちと照らし合わせて、試行錯誤でいいのだと思います。

そよかぜ号さん

こういうやり方というのは、保育士でも知らない人が多いです。

一般的な子育ての関わり方だと、上から子供にアプローチしようとする姿勢が強いので、どうしてもそこから「適応的にさせる」になりがちです。

僕はこういう関わりを、大人と子供が対等であるという視点から編み出しました。

やってみると意外と簡単で、目に見えて変化があるので保育士に伝えても重宝がられています。

okoyaさん

「え~ん、ポコポコ」かわいいですね。

子育てっていうのは、少なくとも幼少期は、楽しいことがたくさんあってなんぼというものだと思うのです。

なんかこれまでの一般的な日本の子育てでは、親の威厳・親の面子みたいなニュアンスが必要以上に入っていたように思います。

可愛い姿をたくさんにして楽しく日々をおくれたらそれで子供というのはすくすくいけるのですけどね。

日本の生活も楽しめるといいですね。
夏の妊娠はしんどいものだと聞きます。どうぞお体お大切に。

ママスケさん

「よ」だけでも、他者の気持ちを配慮するということに気づいたその違いはきっと大きいですよね。
「よ」だけでも、なんか微笑ましいですね。

ちくれさん

保育園で過ごしているときは遊べているのかな?

それが「全然遊べません」というのでなくて、それなりに遊んでいるというのだったら、遊びに関してはそんなに気にしなくてもいいように思います。

というのも、「子供は欠如体ではない」の記事に書いたように、「うちの子は遊べないから遊べるようにしなければ」という意識に親がなってしまうと、そこから子供が感じるのは「子供の現状の否定」ということになってしまうからです。

なので、それに関しては保育園で日々学んでいるのだくらいの意識でいていいのではないでしょうか。


>私の機嫌が良くない時や朝起きた時など、「母ちゃん大好き!」とよく言ってくれるのですが、これは息子がそう言って欲しいからなのでしようか?

そうかもしれませんし、お母さんの機嫌の悪いのを感じ取って、笑顔になってほしいと思って言ってくれているのかもしれませんね。


コメントで相談を受けている時などに、「努力して」「頑張って」「一生懸命に」という言葉を聞くときがあるのですが、まあ言葉の綾ということもありますので、それがどこまでというのはひとそれぞれなのでしょうけれども、僕はどっちかというと、それを「無理をしない範囲で」やれるものだといいなと感じています。


ちくれさんに僕が言えるのは、「話す事が得意で無い」のは全然構わないと思います。
でも、もし気をつけるとすれば、感情の表し方にちょっと意識をしてみるといいのではないかと思うのです。


子供というのは感情の機微を察知して生きています。

そのときに、大人の感情の動きがわかりにくいと子供は不安になったり取るべき行動がわからなくなったりします。

要するに、喜怒哀楽の特に「喜と楽」の部分を明快に子供に提示してあげるようにするのです。


これをこれまでよりもはっきりと出せるようにしていくと、子供は安心していられるので情緒が安定します。

あんまり頑張らなくていいですから、まずはそこだけちょっと意識してみるといいのではないかと思います。

「怒ること」を減らそうと努力するよりも、この「喜と楽」の部分をはっきりと出すようにするほうがずっと簡単で有効です。

アドバイスありがとうございます。

保育園ではそれなりに遊べていると思います。
先生の話しなども理解していて、先生が言っていた事を息子が教えてくれたりします。(明日はお弁当いらないよなど)

コメントを頂いて気づいたのですが、日々の生活を送る中で「喜と楽」の部分が私自身少ないように思えました。
と言うより、表情に表わしていなかったような(ーー;)
少し意識をして、子どもたちと関わってみたいと思います。

返信ありがとうございました。

返信不要と書き忘れていました。
でもでも 嬉しいです、ありがとうございます。

昨日の息子は「パパ●●するなら、ぼくは遊びませんっ!」
「●●しないで!」と怒らずに、事実?としてお話してきました(笑)

私が良く使う言い回しに酷似していて笑えました。
「9時だからママは寝ます。遊びませんっ!」
「おでかけするから、ママはお着替えしますっ!」

本当に母親のすること、よく見てるなぁと身が引き締まります。
これからも楽しく言葉を使えるようにしていけたらと思います。

返信不要です(*^_^*)

けふじろさん

僕もこの「意地悪に見える」というのを、しばしば使います。

人によっては、こういうアプローチを「子供に冷たくしている」というニュアンスでとる人もいるのだけど、実は全くそんなことはなくて、この言い方で伝えると「行為の否定」はしても「個人の否定」にはならないという点がとても大きいです。


「怒る・叱る」ということだと、どれほどそれが正当な理由があったとしても、受ける当の子供からすると「否定された」ということはゆるがない事実としてあって、もともと自己肯定感の高い子ならばそれでも聞き入れてくれるということもありますが、自己肯定感の低い子であったばあい、「否定された」ということだけで、そこでの関わりが終わってしまいます。

いくら正義の理屈を伝えたところで、それを受け止めるスペースはシャットアウトされてしまいます。


そして、子供で意地悪をする子というのは、その多くが自己肯定感が低い子であって、このアプローチでは結局のところ、問題を目に見えないところに押し込んで大人は自己満足するということになりかねません。


なので、その子供と信頼関係を築いている大人が「私にはそれは意地悪に見える」と伝えることは、その子供が自身が自分から変わるきっかけを与えてあげることができます。


まず信頼関係があって、それを基礎として子供との関わりを積み上げていくことで、子供の姿・力というのは援助者しだいで大きく伸ばしていけます。

No title

こちらのブログに早くであっていればなと思う小学生の母です。
兄弟がいないため、甘やかさないで育てなくてはと
大人の都合で間違った方向に育ててしまったのでしょう。
中学年になっても娘はややこしい子に成長?してしまいました。

立て直したいとは思うものの、信頼関係がないのか私の言うことには耳を貸さず、友達と問題がおきても別にいいもんと開き直ります。

教室でもわざと意地悪をして、周りのこどもたちに指摘されても意固地をはり、最後には逆ぎれて話をすり替えて泣きわめくなどが増えてきました

こういうことを続けているとあなたの周りに近づきたくなくなる子もでてきたり、あなただけでなく周りの人もとてもいやな気持ちになっているのでは?
あなたはどうしたいのだと問いかけても、
別にいいもん。

人を傷つけるような嘘をついたりしたことを注意しても
そんな嘘ついてないし(憎々しげに)
と開き直ります。

きちんと向き合えていなかったのかもしれません。
今からでもまにあうのでしょうか

だふぃんさん

乳児に対するのとは同じにいかないとしても、親が変われば子供は変わるものです。

小さくとも「肯定」「認める」「共感」という積み重ねが大切だと思います。


結局のところ「自己肯定」がそもそも出来ていない状態のところで、注意や叱ったりというような「否定」の方向の関わりというのでは響かないのです。

その今ある姿を変えようと思ったら、まずは「響く状態」にまでもって来なければなりません。



そのためには、目の前にある子供の状態に対して「マイナスの関わり」よりもずっとたくさんの「プラスの関わり」をしなければなりません。


なので遠回りのようであっても、認めることや共感することなどのプラスが必要なのです。




なかには注意や叱らなければならないこともあるでしょう。
そのようなときでも、頭ごなしにそれをするのではなくて、まずは「どうしたの?」というように受け止める姿勢を持って聴き、それから注意をしてでも遅くはありません。

「あなたは○○と思ったんだね。でも私はそうは思わないな」というように話をつなげてもいいでしょう


もしくは、聴いたあとに「でも他にももっといい方法があったかもしれないね」など、頭ごなしに否定や意見をするのではなくて、子供に考えさせる・投げかける方向でアプローチするという手もあります。

このようなアプローチは、

・否定をしていない 
・相手を信頼していないとできない、つまりそこに信頼されているという気持ちを感じさせられる
・「私を理解してくれようとした」「話を聴いてくれた」という一種の「受容」を示すことができる

このような利点があります。

ただ、なかには「人としてきっぱりNOを断言しなければならない」というような問題だってあるでしょうから、あくまでそれはケースバイケースであるのはもちろんです。



ただ、これらの関わりは対症療法に過ぎないので、まず心がけるべきは認めることや共感することといった、肯定と受容の関わりだと思います。


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