2017-07

保育園の子供と幼稚園の子供  Vol.3  「視点」への意識 - 2014.04.13 Sun

前回の続きです。


幼稚園というのは学校ですので、そこでの大人から子供へのアプローチは「指導」という形を取ることになります。
これは小学校も同様ですね。





幼稚園と保育園の違いを知らない人がいたりしてときどき混同されるのですが、保育園というのはその本来の目的が、「モノを教える」ことではありません。

保育園というのは家庭に代わって生活の場を提供するところなのです。
そのなかで健やかな育成、成長に必要なことを子供にしていくことろです。

なので、「指導」という概念はそもそもありません。


しかし、かつては今ほど保育園が家庭の肩代わりをしなければならないところも多くなかったですから、むしろ学校的・指導的な関わりや子供へのアプローチを取っているところもけっこうありました。
中にはいまでも、あることでしょう。

ですが、いまは「援助」という見方が広まってきました。



幼稚園は「指導」することが本来課せられた役割であり、そのこと自体はもちろん否定されるべきことではありません。


しかし、その考え方に凝り固まって省みることもなくなってしまうと、そこからは硬直化した問題というものが生まれてきます。


「指導」というのは概念的なその構造上、子供より上の位置に立って子供を導く、引っ張り上げるということです。

でも、この方法もそれにあぐらをかいてしまうと、「子供を大人の望む形にする・望む行動を取らせれば良い」ということになり、そこでの子供自身の力としてその行動をとらせるのではなく、単に大人が子供を動かすうまい方法を駆使すればいいということにもなりかねません。

『人はなにで動くか Vol.1』
などで、関連の事柄が述べられています。



むーちゃんの幼稚園の先生方の対応を見ていても思いますし、幼稚園教諭をして保育園に転職した人の子供への関わり方などを見ていても感じることがあります。

それは『ごまかし』の多さです。
ベテランも新人も関係なく同じように多いです。


『やさしさ保育園とさばさば保育園』の記事の中でも指摘しましたが、
一見丁寧に見えても、それは子供を低く見た対応であるという側面があります。


ぐずってどうにもならない子の気持ちを切り替えるくらいならばまだしもですが、多くの局面で多用するようになると、それは行き過ぎともなりかねません。


過去記事でも述べたように、している人に悪気がないのはわかります。
でも、「ごまかし」によってとりあえず大人の望む行動を取らせてしまえばいいというのは、子供を侮った対応なのです。


「相手はおこちゃまだから、こうやっていうこときかせちゃえばいいわよねー」
ということを前提としているわけです。

悪意でやっているのでなくとも、その本質は変わりません。


子供関連の多くの施設で、その目標の中には「子供を尊重して」というような文言や理念が必ずと言っていいほど掲げられています。


そして、そこにいる人たちは例外なく「自分たちは子供を尊重して対応している」と思っています。

でも、それは自分たちの理解の範囲内で「子供を尊重している」と思っているに過ぎず、実際の子供への関わりの中で、子供をごまかしてどうにかしてしまっているような関わりを常態として行っていたらそれは、客観的には「子供を大人と同じだけの人格をもった一個人として尊重している」ということにはならないのです。


この点に気づいて、そこをもう一度見直していくということをしなければ、前回のところで述べたようなこれからの状況というのに対応できなくなってしまうでしょう。





この原因というのは、「指導」という概念の持つ構造的なものがそれをだんだんと醸成していったと僕は思います。


「指導」というのは、目標とするものを設定してそれを学ばせる、身につけさせるということです。

極端な言い方をすれば、「型にはめるためのアプローチ」です。

「型にはめる」というとなんとなく良くないニュアンスを感じる人もいるかもしれませんが、それを無理矢理にではなく良い形で行えるということが指導者の力量ということでしょう。

教育において指導というアプローチを大人がとるというのは、当然間違ったことではありません。

ですが、ともするとその目標に合わせることが重視されてしまって、その過程というものが問題視されなくなってしまうという側面があります。


指導において視点の柔軟さが発揮されないと、つねに大人の立ち位置が上で子供の立ち位置が下という構造になります。

それゆえ、子供を「ごまかしてしまえばいい対象」とも見ることができるのです。


「ごまかし」程度ですんでいればまだいいのですが、この「子供への視点の問題」はこれからもっと傷を大きくしていきかねません。






それは、例えば前回で見たような、3ようなの子への対応です。
それだけではなく、発達障がいやグレーゾーンの子供などへの対応でも同様のことが起こりえます。


こういった子供は、カリキュラムに合わせて活動したり、集団での行動や他児との協調ということが難しいということがあります。

その他大勢の子供に比べ、大人の思い通りに動かそうとすること自体が困難になります。

もちろん「ごまかし」くらいでは思う通りにはなりません。「ごまかし」というのは、子供の大人への信頼を逆手にとってできることなので、もともと信頼感を持っていない子や、集団での行動、規範に沿っての行動をとる力の弱い子には通じないことも多くなります。

そうすると、注意や規制・制止・叱責という対応で子供に対峙していくことになります。

それでもそれを根気よく続けていくことで、それなりの信頼関係というものが生まれるということももちろんあります。
その結果適応する方に向けばいいですが、そうならなかったときに問題児のレッテル貼りをし積極的なアプローチをしない方へいってしまうこともあります。


『減点法の子育て』
の事例の中で出てきた男の子の話ですが、


幼稚園にいたときに、合奏の練習をしていてその子が全く従えないというので、楽器を取り上げられしなくていいという扱いにされ別室に行かされていたという話をその担任だった幼稚園の先生本人の口から聞きました。

その先生の話では、いかにその子がそのようにされても仕方のないことで、それが必要な対応だったのだという主張でした。



これは、硬直した「指導」という観点がこのような子供への見方を導き出してしまっているのだと感じます。


「これをすべき」という目的があるなかで、それを否定し従わない存在というのは、異質な存在であり、注意や叱責といった指導の対象となります。
この事例においては、楽器を取り上げ、属する集団から切り離すという対応までしています。


集団への帰属意識というものをすでに持っているはずの年齢の子供に対してこのようなことをするというのは、一種の苦痛を味あわせるということであって、これは「懲罰」と言えます。

しかし、その先生の中ではこれは正当な指導であるという理解でいるのです。


子供がもし、「お前なんかいれてやんねー」と一人の子供を仲間はずれにしたとしたら、それは意地悪でしょう。

おそらくその先生がクラスで子供たちがそういうことをしているのに直面したら、それはやめさせるように考えるのではないでしょうか。

でも、楽器を取り上げて別の部屋に行っていなさいというのは、これと同じかもっとひどいことです。
個人の尊厳というものを傷つける行為です。


この指導法は、ある種の懲罰を課すこと、懲罰を課せるという大人の立場・権力を意識させることで、子供に従うことを要求するものです。

「大人が上で、子供が下」なのです。


やさしさ風味で「ごまかし」を使うことと、子供を問題児扱いして落ちこぼれにしていくのとは、一見遠いいことのようですが、実は同根のところにあります。

ですから、「ごまかしが当たり前」のようになっていると、そこと同じ環境で子供をおとしめる行為が醸成されてもおかしくないのです。




この事例の男の子は、「従わない」のではありません。
「従うに足るだけの信頼感」をその大人に対して持てないから、したくてもできないのです。


「指導」という高みからの視点だけで子供をみるのではなく、もしこの先生がこの子の横に寄り添うところまで下りてきて信頼関係を作ろうとするプロセスをそれ以前から持っていたり、その子の背景までも含めて包括的に援助してあげようという柔軟な視点を持てていたならば、また結果は違っていたことでしょう。



駆け足でしたが、以上が幼稚園での関わりを考えて気づかされる「視点への意識」の問題でした。






くどいですが、この記事も含め関連のところで書かれていることは、保育園がよくて幼稚園がよくないということでも、その逆ということでも、指導がよくないということでもありません。
そこは誤解のないようにお願いします。
保育園でもまだまだこれと全く同じ問題は多数あります。
子供へのプロ・専門職としてのその質の向上を願っています。

なんども繰り返してしつこいので、この種のお断りは今回までにしておきますね。
否定しようと思って書いているわけではないので、どうぞご了承ください。


そう言ったばかりで恐縮ですが、幼稚園のなかでここだけはすぐにでも直したほうがいいと思う点があります。
それについてはまた別の機会に述べていきます。
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● COMMENT ●

No title

うーん確かに…自分も出来ることを要求する幼稚園の教諭ですから、そういう言うこと聞かせようという態度っていうのはいくらかあると思います。
でもさらにベテラン先生達の手法がまさにごまかし脅しだらけなんですよね。なんともお粗末な…(>人<;)片付けが遅いと扉をバンバン叩いて鬼さんが来るよー!とか…。

本当情けない事に…若手もそういうのがうまくなりたいとか平気で言っちゃうんですよね。

そして最近始まった研修とかで、今時の保育観を聞いてきたベテラン先生がなんか私らのやってきたこと全否定されとって嫌だった受け入れられない!あんなの!子供が付け上がるだけじゃない!みたいな話になったり…

なかなか難しいものです…

「鬼」は脅しの典型だと思いますが、これもやはりごまかしでしょうか?イヤイヤ2歳児に多用してしまっている今日この頃です。周りのお母さんもやはり鬼に助けられてるという声多数。そもそも昔からそういう役目の為に存在しているとも思うのですが。

かくいう私もイヤイヤ期に入る前までは、鬼から電話がかかってくるアプリをテレビ特集してるのを見て、こんなのに頼るのはなんだか親として頼りないなぁなんて思っていました。それが今や…(アプリこそ使っていませんが)です。夜なかなか寝ようとしない時などの正解が分かりません!
ちょっと多用しすぎなところは反省なのですが(汗)鬼やおばけの存在によって、なんとなく夜や暗闇に恐怖心を持つことも大切なことだとも思っています。もともと慎重派で怖がりな娘ですけど(^_^;)

今回の記事とは少しずれてしまいました。ごまかしというワードつながりで、前から鬼のこと聞いてみたかったもので。おとーちゃんのお宅では鬼とはどのように付き合っておられますか?ごまかしについての記事の中ででも少し触れて頂けると幸いです。

赤ちゃん返り? 3歳の娘への対応

おとーちゃんさん、こんにちは。
数か月前からブログを拝見し、とても助けられています。
一時期行き詰まりを感じていた子育ても、ブログを拝読して、自分の過干渉や受容・肯定が足りていなかったことに気づき、少し意識を改善してから明らかに変わりました。
本当にありがとうございます。

しかし、最近また育児が辛く、追い詰められてきた感があり、どうかご相談させてください。

4月で3歳になったばかりの娘のことです。第一子です。
おとーちゃんさんのブログのおかげで、とても素直でかわいい子に育ってくれているなあと思っていました。
しかし、ここ最近、以前はなかったわがままが増えてかわいい姿が減ってきてしまいました。
思い当たる環境変化はいろいろあります。
3月に息子(第二子)が生まれました。
4月から産後の保育ということで保育園に通い始めました。大体9時~15時40分ぐらいです。5月いっぱいまでの予定です。最初の数日は泣いたり、さみしいと言ったりしていたのですが、現在は楽しく通っているようです。そうはいってもやはりどこかさみしいのかなと思い「本当は保育園楽しくない?」と聞いてみたら「楽しい」「保育園行きたい」と言っていました。
(保育園の前に、幼稚園の2歳児クラスに、半年間、週1回通っていました)

1年間通ったリトミックの教室(週1回)を卒業して、私の出産が重なったこともあり、そこで出会ったお友達と今までみたいに遊ぶ機会がもてていません。

産後1カ月がようやくたったところで、以前のように私(母親)とどこかに出かけたりできていません。軽い散歩を1,2回したぐらいです。

息子が生まれて2週間ぐらいしてから、突然トイレに自分で行くようになりました。(トイレトレーニングはしていません)

気になる姿は
●怒るとものをたたく
●ちょっとでも気に入らないことがあると号泣する。その頻度が多い。
お風呂に入る時自分(娘)より先に親が服を脱いだと号泣、おせんべいが食べたいと号泣、手にお米がついてとれないと号泣、抱っこを少し待ってもらうように言うと号泣、すぐそこにティッシュがあるのにティッシュをとってと号泣 など。
●なんでも自分でやりたがり(これはいいことだと思うのですが)、危険だから等で断ると号泣する。
●スーパーなどで気に入らないことがあると座り込んで泣く
●口調がきつい。「~なんだから!」「~でしょ!」「~して!(命令口調)」など。→そんな言い方したら悲しいよ、などと伝えたりはしています。
●前よりテレビを見たがる。

ちょっとしたことで1日に何回も怒るので夫も私も疲れてしまって、号泣が始まると「ああ、またか…」というがっかり感が出てしまいます。これも良くないと思いつつ…。
娘とはいい関係が築けていると思っていただけに、今の姿が悲しく残念でなりません。
できる範囲で、絵本を読んだり、ごっこ遊びをしたり、くすぐりをしたり、今までのように普段からの受容・肯定を心がけているつもりですが、どうしても今までみたいにはかまえていません。赤ちゃん返りもするだろうし、3歳児ならあり得る姿でしょうか。
長時間大声で叫んだり泣いたりしている娘につい怒鳴ったり叫んだりして自己嫌悪で泣きそうになったり、かわいい娘を「見たくない」と思ってしまったり、こちらの対応が悪くて満たされていないのかと申し訳なく思ったりと、なんというか辛いです。
そして、夫がいるときの方がわがままが強く出ている気がします。甘えているだけなのでしょうか。夫も疲れてきて、最近では「もう知らない」も連発します。このセリフは、情けないことに私も何回か使ってしまっていました。
夫は私から見ると、多少過保護・過干渉の傾向があるような気がします。「早く」をよく使う、しつこく説明したりやらせようとする、など。また、たとえば娘がお風呂の前に遊びたいとごねると、「じゃあ少しだけ遊んでからね」と譲歩することがとても多いです。これはありなんでしょうか。
でも娘と遊ぶのが上手で、娘も夫と遊ぶのが大好きです。しょっちゅう娘に「大好きー」と言っていて、私はなかなか自分から言えないのですごいとも思っています。

娘は機嫌の良いときは元気で、歌ったり踊ったり、冗談も好きでしっかり者、かわいい姿も見せてくれます。甘えん坊で入れ物が大きい子だとも感じます。
全面肯定も心がけてみましたが、なかなかうまくいきません。以前のかわいい姿を求めすぎているのでしょうか。これも過度な期待になりますか? 

今できることはどんなことがあるでしょうか。

ちなみに弟には「赤ちゃんかわいいー」と抱きついたりお世話したがったりします。余裕がないと、授乳中に「赤ちゃんどいて」と言ったり、2度ほど髪の毛を引っ張ったときもありました。

また、これはもっと前から気になっていることです。すみませんがついでにご相談させてください。
●股を気にする。自慰とかではなく、単に興味がある感じです。ふざけて「おーまたー」と言って踊ったり。
●私が怒ると、怒ったように「大好き!」と言う。ふだんから「お母さん、大好き~」と言ってくれるのですが、怒ったような「大好き」にはどう返事をしていいかわかりません。

長文・乱文で失礼しました。
お忙しい中とは存じますが、お手すきのときに何がしかアドバイスをいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願い致します。

指導・しつけ・経験の提供

こんばんは。

いつも勉強させていただいておりますが、今回の一連の記事は、現役保育士としては本当にいろいろと考えさせられることが多いです。


>保育園というのは家庭に代わって生活の場を提供するところなのです。
そのなかで健やかな育成、成長に必要なことを子供にしていくことろです。

>なので、「指導」という概念はそもそもありません。

のはずなんですよね。本来は。
でも、‘保育所保育指針’にも「ねらい」というのが年齢に応じて書かれていて、その「ねらい」に適うような保育活動「内容」があるわけですが、いかんせん、最近の子ども達に多くなってきているのが、

・基本的生活習慣の乱れ(食や睡眠、排泄など)
・基本的なしつけの欠如
・年齢相応の生活経験の乏しさ

だったりするものですから指針のねらい」のハードルが、場合によっては相当高いように感じられたり、それをクリアするためには「(指導)教え込み」の強化が必然のように思えたりすることが多々あり、我が身を振り返れば、つい先回り教え込み型になっていることも多いと思います。

ですが、そもそも保育園が生まれた経緯である「保育に欠けた子どもの援助」という観点からすると、従前のような生活のために働かざるを得ない母親の不在から‘保育に欠ける’子どもは減っているものの、別の意味での家庭の保育力の低下で上記のようなことが起こっている子どもたちには、現代的な意味での「援助」としての「指導・しつけ・経験の提供」が、保育園の役割となっているという考え方もあるのではないかと思えますがいかがでしょうか?もちろん、「上から目線」の弊害には十分配慮するという前提ですが。


大人への信頼感が育まれていない子どもは確かに多いと思います。
そこに、テレビのバラエティー番組の影響などと言われるところの相手をこき下ろしたり、揶揄したり、茶化したりというのが、まるでかまって欲しいときの定番のコミュニケーションのスタイルになってしまっているような子どももいて、年齢があがれば上がるほど、対応に苦慮することが増えていきます。

一部では言われ始めたことですが、「発達障がい」「グレーゾーン」などという言葉で保健師や小児科医によってレッテルを貼られた子どものうち、実は愛着の障害が主原因と思われる子どもが確実に増えているということも関係しているのかどうかわかりませんが、縦割り異年齢混合の1クラスの中に、本当に発達の問題を抱えた子ども、愛着障害が原因の問題行動を繰り返す子ども、それらに影響を受けやすい「繊細な子」「幼い子」「お調子者」なども複数いて、日々の大まかな予定、活動のテーマがなかなかクリアできなくて遅れがちという現実もあります。

そんなとき、「発達障害」の診断をもった子どもの人数によって認められる加配の保育士の数量的存在はとても大きくて、その子たちの卒園によって加配がなくなった今年は、新学期のざわめきの中で、良くないこととの自覚はありながらも「ごまかし」的な対応で切り抜けていることが多いような気もします。


3、の子どもの中に、過干渉、過保護が原因で大人を信じられなくなるケースもあるのだということがわかり、思い当たることが多々あります。
こんなときも、やはり保護者への「援助的関わり」によって、子ども本人が信頼感を育めるようになることを目指すべきなのだと思いますが、教育に無関心とか子育てが下手だという親に対応する以上に、子どもに良かれと思って誤った行動をしてしまっているという「教育熱心」な親に何かを気付かせることはとても難しいことのように思えます。


子どもたちの自立・自律そして自信の獲得ために、具体的にどのような言葉かけや態度、スタンスが望ましいのか、おとーちゃんさんの実践例などまたお聞かせいただければ嬉しいです。

いつでも、何かのついででもけっこうです。どうぞよろしくお願いいたします。

コメントを含めた過去記事の検索方法

おとーちゃんさん
今までコメントすることはなかったですが、こちらのブログに何度も助けられた一人です。
今まで何度も育児で壁にぶつかり行き詰ったことがありましたが、おとーちゃんさんのおかげで乗り越えることができました。
本当にありがとうございます!

今までほとんどの記事&コメントを読んで来ていますが、質問コメントの内容が明らかに過去記事に書かれていたなぁ…ともどかしく思うこともあり、この検索方法を知らせたいけど出すぎた事かもしれないと迷っていました。

おとーちゃんさんも、過去の○○を参照してくださいとだけ返すわけにはいかないでしょうし、コメントの文章を作成するのってテーマが育児のお悩みというデリケートなものだけに、内容にも気を遣うでしょうし時間もかかるのではないかと思いまして…

おとーちゃんさんのブログ以外でも使える情報かと思いますので、こちらのブログを読まれている方々に参考にしていただけたら幸いです。

これによって、過去にある内容の質問をすることがタブー視されてしまうのではないかという懸念もありコメントするか迷っていたのですが、そういうつもりではなく…

悩んだ方ができるだけ早く解決策やそのヒントにたどりつければいいなーという思いで書いています。(実際に私がそうでしたので)

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FC2で提供されている検索機能ですと記事のみが検索対象のようですが、この検索オプションを使うと検索対象にコメント内容も含まれます。

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このコメントに関しての返信は不要です。
逆に、問題があれば削除してください。

No title

一連の記事、なるほどーと読むと同時に、少し意外な気もしました。というのは、私の印象は(と言ってもほんとに浅い物なのですが)逆というか、ちょっと違っていたからです。

私は4月から復帰しまして、子ども二人を保育園に預けているのですが、自分の子をはじめとして(親ばかです)、送迎の際やママ同士で遊んだりする際、みんな子どもらしいいい子たちだなーといつも思ってます。まあたたかいごっこをしたりはしてますが…。

一方近くの幼稚園の子たち(制服のまま遊んでいるからわかります)は、なんていうのか、獰猛というかなんというか…。滑り台の高いところから大きな石を落として、注意しても無視されたり(親はおしゃべりに夢中)、下の子1歳と正面衝突してもちらっと一瞥するだけで謝らない。同じく1歳の子が乗ろうと足をかけている遊具に猛突進して奪う。そんなことが多くて、幼稚園っていうのは殺伐としているのかな?と思っていたのです。(幼稚園に通園させている方、すみません。あくまで私の家の近くでの印象ですので、失礼な表現で申し訳ありません)。

おそらく、どちらも誤差というかたまたま私の周りでのことなんでしょうね。なんにしろ、大人への(おそらく大人だけでなく自分や自分のいる世界への)信頼感をどれくらい持っているかって、本当に大切ですね。
もっと言えば、親がどれくらい自分と他人に信頼感があるかというのも大切ですよね。それによって育児のしんどさも変わってくると思います。

あわせて質問なのですが、例えば下の子が病気の時上の子(幼児クラス)も休ませて家にいさせるというのは、保育園の先生にとってはどのような印象になるのでしょうか?私としてはよほど看病がしんどくなければ、上の子も休ませてのんびりしようかなと思うのですが、年中や年長ともなれば休まず行かせることが大切になるのでしょうか?担任の先生に聞けばいいとは思いつつ、なんとなく聞けていません。ぜひおとーちゃんのご意見をお聞かせください。

No title

子供を目標まで伸ばしていく指導が、いつの間にか、手段を問わず型にはめることが目標に刷り変わらないようにと。難しいですね。

全然関係ないかもしれないのですが、記事を読んでいて思い出しました。
私が小さい頃に通っていた幼稚園は、なんと毎月のように発表会がありました。
みんなで同じことが揃えて出来る。揃えて劇が出来たり、ピアニカが弾ける。そんな事ばかりやっていました。

どうしてみんなで声を揃えると決められたセリフで内容的に大したことを言ってるわけでも無いのに大人が盛り上がるのか、先生が褒めてくれるのか、逆にどうしてこんな事が出来ないだけで先生が私の友達を罵倒するのか、当時から謎でしたし、未だにあれのどこにどんな教育効果があったのか疑問でなりません。
型にはめることに、保護者に成果を見せる事ばかりに心が行っている、あまり良くない例の幼稚園だったのかもしれませんが…。。

おとーちゃんさん、こんばんは。
記事読ませて頂きました。
昨今幼稚園も延長保育があったり、夏休み春休みなどの預かり保育があったり見方によっては保育園とそう変わらなくなってきてるなあと感じます。
核家族で育児を誰にも頼れなかったり、保育園に入れなかったりする家庭にはそういう支援をしてくれる幼稚園はありがたい存在なんだろうな、と思いつつ、本来短時間保育のはずの幼稚園児が延長保育などの時間はどうしているのかなあ、と思ったりします。
こういう需要はどんどん増えて行くだろうし、そういうニーズを組み上げて行く幼稚園しか保護者には選ばれないのかも知れないですね。

卑怯と嘘つき

いつも記事更新を心待ちにしております、2歳2ヶ月の男の子の母です。
おとーちゃんのいう「ごまかし」とは、「どんな口調であれ、何のためであれ、卑怯なことや嘘つきはすべきでない」ということでしょうか。
例えば、子供にいうことを聞かせるために楽器をとりあげるような罰を与える、脅すは卑怯なこと。触ってはいけないものを、熱くもないのに「あちちだからダメ」っていうのは嘘つき。
大人相手なら悪いと分かるのに、子供相手だとつい使いがちですよね。

「鬼はどう思いますか?」というコメントがありますが、私の家も迷っていました。鬼やおばけの存在。
うちは私も旦那も妖怪とか八百万の神とか、超自然的な存在が大好きなので、子供に安易に使ってしまうのはもったいない!という結論になり使ってません。
なまはげや獅子舞みたいに1年のうちに数回これは!!!という機会に使うと思います。

この前タイの方とお話する機会がありました。
鉄道博物館の話をしていて、「なかが木の電車があって、綺麗だったけれど怖かった」というので、床が抜けると思ったの?と聞くと、「お化けが出るかもと思った」とのこと。
…私と同年代の方です。
こういう感覚の人が使えば、きっと鬼もごまかしとは無縁なんでしょう。そして昔の人はきっと、ごまかしや方便ではなく、鬼という言葉を使っていたと思います。

けふじろさん

>今時の保育観を聞いてきたベテラン先生がなんか私らのやってきたこと全否定されとって嫌だった受け入れられない

こういう状況はほんとよくあります。

自分のしている仕事にプライドを高く持つというのは大切なことだと思います。

でも、この種のものは「私の」プライドなのですよね。
職務に対するプライドが高いのならばこうはならないような気もするのですけど。

人間に始まって人間に終わる仕事ですから、この手の問題は尽きないですよね。

assamさん

とりあえず鬼について述べた過去記事がこちらにありました。↓
『ニュースが安心して見れない  Vol.2   ―コメントを受けて―  その2』


子供にはいろいろな個性がありますから、これが正解とか、誰にも適用できるということはないかもしれませんが、我が家では一貫して信頼関係でもって関わりを持つということを心がけていたので、ごまかしや脅しを使わなければなかった場面というのが、兄妹ともに全くなかったのです。

このあたりは父母ともに数百人と子供に関わってきた経験というものがあったからできたという部分はあるのかもしれません。

ごまかしや脅しで子供に適応的な行動を求めるよりも、心を成長させることでその行動が可能になるように関わってきました。


なので、鬼というのは節分や昔話で関わる程度です。



脅し、ごまかしというのは、少々ならばさして問題ないかもしれませんが、多用しているとその反動はまずでてきます。

怒りすぎて子育てしていると、怒られるときは困ることをしないけれども、怒られない状況では返ってする子になるということがあります。


脅しということもこれと同様の構造にはまることがあって、なにかで脅されて大人の望む行動を取らせるということが常態になってしまうと、その脅しという重石のないところではその望ましい行動をとらないという成長になってしまうということもありえます。

これは大人が短絡的に「適応的な行動」というものを求めたために、子供自身に考えて取るべき行動を選択するというプロセスを持たせてこなかったためにこういった成長を得てしまったということです。

あとあとツケがまわってきたということになりかねません。


多くの人が当たり前にやっていて、同様にそのような結果を得ているので、「子供とはそういうものだ」という認識であまり脅しやごまかしの問題というのは表面化してこないのですが、可能であるならば真っ正直に子供と関わって育てていったほうが良いのではないかと僕は考えています。

その考えで行けば、ごまかしや脅しによって子供をいいように誘導するくらいならば、ときに怒ったり叱ったりの強く明確に大人の意思を伝える手段をとったほうが、嘘のない関わりになっていけることでしょう。

akikkoさん

赤ちゃんが下に生まれ、新入園など環境の変化も加わったということであれば、こういう姿は誰しもが出る可能性のあることです。

ひとつには成長が時間が解決するでしょう。



4月生まれで3歳ということであれば、月齢もとても高くなおかつ女の子ですから、いろいろできてしまうことでしょう。
そして、しっかりものとのことですね。
きっと園のクラスの中でもお姉さんな方で、いろいろ頑張ってしまっていることでしょう。

おそらく園でも家庭でも、無意識のうちに「出来ること」がいろいろと求められてしまっているのではないかと推察されます。


でも、やっぱりまだ生まれてたったの3年生なのです。

いろいろできちゃいはするけど、下に生まれた赤ちゃんとメンタルな部分ではさして変わってはいないのです。

それはお父さんお母さんに守られたい、見つめられていたいという気持ちです。



出来ることまでやってあげるような過保護で、甘やかした対応をしろというわけではありませんが、気持ちの上ではそういった甘えたい、依存したいという気持ちをまだもっているということは理解してあげておいてください。


よく世間で言うところの「お姉さん扱いしない」というやつですね。


おねえちゃんはいろいろしっかりできちゃうんだけど、それはあくまで自発的なものであって、大人が過度にそれを要求していくと、どこかで無理が来ます。


それを理解した上で、成長のできる部分(自発的にしてくれる部分)というのは認めていくと、メンタル的なバランスというのがだんだんとれていくことでしょう。



具体的に取るべき対応としては、「先回りした関わり」というのを意識するといいです。

これは詳しくは過去記事にありますので、検索してみてください。


簡単に言うと、娘さんは大人から自分に目を向けてくれる関わり、受け止めてくれる関わりというのを欲しているわけです。

でも、メンタル的な成長というものもあって、それをそのまま甘えとして素直にだすことにはブレーキがかかってしまいます。

その結果、ネガティブな出し方としてでてしまっているわけです。


このネガティブな出し方に大人が応えようとしても、いくら努力たところでそれで満足し切るということはありません。


>気になる姿は

ネガティブなだしかたというのは、このコメントでは↑以下の行動ですね。


なので、子供が困った行動をしてから対応するよりも、大人の側からいい形で関わっていく積み重ねをすれば、この部分の子供の欲求というのは解消することが可能になります。


例えば、くすぐりなんかを大人側からアプローチして娘さんと一緒に楽しむようにしましょう。


お母さんは大変でしょうけど、お父さんに相手してもらえるときなど、戸外につれてってたくさん追いかけっこをしてみましょう。

子供が大人に追いかけられるというのは、大人から注目してもらえているという実感を強く感じられる経験です。なので、子供は大人に追いかけられるのが大好きです。

そういうことを大人の側から率先してつみかさねていくことが「先回りした関わり」です。



また、娘さんとゆったりした時間に赤ちゃんだった頃のお話をしてあげたり、娘さんを赤ちゃん役にして、赤ちゃんごっこや、出産ごっこをして遊ぶのも大変心を満たすことのできる関わりです。



女の子は精神的な発達というものが、概して早いものです。

おそらく今の時点が「お父さんお母さんのかわいいかわいい小さな赤ちゃん」でいられる、機会というものがもてる最後のときです。


子供は前の段階をしっかり確認して次の段階にいくということをします。


それがうまくできないと、大きくなってもグズグズと引きずったりということも中にはあります。


「できる私」というのは今後いくらでも認めてあげる機会があります。

でも、「できない私」というのを認めてあげられることは小さいうちだけです。


人はありのままの「私」を認めてもらいたいものです。
子供にとってはそれが「できない私」=「赤ちゃんは私」なわけですね。



●股を気にする。自慰とかではなく、単に興味がある感じです。ふざけて「おーまたー」と言って踊ったり。

これは注目を求めての行動だと思われます。
足りないと感じていると、嫌な顔をされたりたしなめられることですら、子供は注目してもらうことがうれしくなってしまいます。


●私が怒ると、怒ったように「大好き!」と言う。ふだんから「お母さん、大好き~」と言ってくれるのですが、怒ったような「大好き」にはどう返事をしていいかわかりません。

こちらは、「できない私」でも受け入れて欲しいという気持ちの現れです。

怒ってそのように言うことはとうてい受け入れがたいものであると、子供は理解しています。
しかし、そのようなネガティブな姿をもし受け入れてもらえたとしたら、それはより大きな受容ということになります。
なので、子供はしばしばこのようなネガティブな求め方というのをします。


しかし、ネガティブな求め方を毎回受けていたら、それがその子にとってもっとも効率的な関わり方として学習されてしまいます。
ですので、これを繰り返すと「いいなり型」の子育てとなり迷走します。


まずは上記の「先回りした関わり」をしてこのような「ネガティブ出し」を減らすことが先決です。

しかし、それでもしばらくはでるでしょう。


そのときは、「ネガティブ出し」をポジティブな出し方に切り替えさせてから受け止めるという方法を僕はとっています。


例えばこんな具合です。

「そんな怒って言われても私は気持ちよく受けられません」←ここは毅然ときっぱり。
「私はあなたのこと大好きだから、可愛くあまえてごらん」←優しく
「抱っこしてーって可愛く言っていいよ」←さらに優しく

「ダッコシテチョー」
ときたら、しっかりと笑顔で受け止めてあげるといいでしょう。


こういうことを繰り返すことによって、ネガティブなだしかたよりもポジティブに(可愛く・素直に)出すということを理解して、ネガティブな大人の方も受け入れがたい出し方というのを減らすことができます。

そうすると親子共余裕がもてるようになりますよね。


出来る範囲でいいですから、くすぐりや赤ちゃんだった時のお話などしてみてください。


ああ、それから真っ正直に言葉で伝えるということも大切ですよ。
「今は赤ちゃんが生まれたばかりだからそのお世話で手が取られちゃうけど、あなたのことも赤ちゃんと同じだけ大切で心から愛していますよ」

日本人は感情を言葉で伝えるというのが苦手なので、案外忘れがちなのだけど、言葉で伝えるというのは実は一等手間のかからない関わりで、また伝わる関わりでもあります。
親の方も暖かい気持ちでいられるときに伝えてみましょう。

お忙しい中、丁寧なお返事本当にありがとうございます。
モヤモヤ混乱していた頭の中が、少し整頓されてより良い関わりの目標が見えてきました。おっしゃっている事はなるほど納得で至ってシンプルな考え方であるのに、日々の慌ただしさの中でいとも簡単に見失ってしまうんですよね…、反省です。
鬼のあり方、主人(鬼を乱発させる)とも話し合いたいと思います。

またakikkoさんへのお返事も、似たような立場でして便乗してフムフムと読ませて頂きました。ごまかし脅しの事も含め、上の子への関わり方をもう一度改めて考える良い機会になりました。

ありがとうございました

おとーちゃんさん、お忙しい中丁寧なご返事をありがとうございます!

以前からおとーちゃんさんのブログを読んでいたので、
先回りした関わり、赤ちゃんの頃の話をする、出きる姿を求めないなど気をつけているつもりでしたが、
知らず知らずのうちに出きる姿を求めてしまっていたのかもしれません。

昨日、保育園でのお昼寝の前にトイレに行き、そこでパジャマが濡れてしまったのを先生には言えずそのまま寝たようです。自分でもショックだったらしく、少し泣きそうになっていたとのことでした。そういうところでも、やっぱり相当頑張ってくれてしまっているんだな、とせつなくなりました。

実は、こちらで悩みを吐き出せてすっきりしたせいか、肩の力が少し抜けたような感じで、これだけ環境が変わったら子どもに変わるなという方が無理だよなー、とか、近頃意味なく「教育しよう」としていた気がする、など振り返ることができました。
また、夫も叱りすぎを反省したらしく、そういったこちらの態度が伝わったのか、はたまた保育園に慣れてきたせいか、今週はゴネゴネがぐんと減り、わりと穏やかにすごすことができました。

そして返信を拝読する前に、偶然ですが娘と追いかけっこをしていました!
>子供が大人に追いかけられるというのは、大人から注目してもらえているという実感を>強く感じられる経験です。なので、子供は大人に追いかけられるのが大好きです。
単純な遊びというだけでなく、そんな意味もあったんですね! 驚きです。

また、息子の寝床に入って寝ころんで遊ぶこともあって、あれは赤ちゃん扱いしてほしいという甘えの現れだったんだな、と今更ながらに思い至りました。


>おそらく今の時点が「お父さんお母さんのかわいいかわいい小さな赤ちゃん」でいられ>る、機会というものがもてる最後のときです。

>でも、「できない私」というのを認めてあげられることは小さいうちだけです。
せつないですー。
でも、本当に本当にそうなんですよね。
肝に命じます。

真っ正直な伝え方もしていなかったので、これからやってみます!

おかげさまで次にゴネゴネがきたときは、もう少しおおらかに関わっていけそうです。たぶん…(^^;

本当にありがとうございます!
またまとまりのない文章ですみません。
これからもブログを励みに、楽しみに読ませていただきます。
季節の変わり目、お体をお大事にお過ごしください!

やまねこさん

>現代的な意味での「援助」としての「指導・しつけ・経験の提供」が、保育園の役割となっているという考え方もあるのではないか

一般的な概念として使われる「指導」としての言葉には、単に「教える」や「伝える」という意味合いがあるので、たしかに「指導」ということもできるかもしれません。


専門的に使われる際の「援助」と「指導」で考えると、その差を明確に分けるのは、まさに「ねらい」の部分であろうと思われます。



「指導」という概念は、ある種の明確に達成すべき目的・課題を策定してそれを子供たちに身につけさせることを前提として成り立っています。

幼稚園ですと曖昧な部分も多いので、わかりやすく小学校でのことを例にとってみます。

例えば、「九九」を身につけさせる段階に達したら、それが明確なその時点での子供たちに達成させなければならない目標となります。

その目標に向けての大人側のアプローチが「指導」というものになります。

そういう意味で「指導」の語のもつ意味は、明確な達成すべき目標ありきということです。
変な言い方をすれば「型にはめる」ことが指導であり、それは間違っていません。


保育指針で「ねらい」としているのは、それは目的ではあるけれども、必ず達せされなければならないこととがっちり決められているのではなくて、方向性でありそれにむかって援助していきましょうということであると思います。


そこにあるのは、個々の差がを最初から認めているということです。

「なにがなんでもこれを達成させなければならない」と考えれば「指導」にならざるを得ませんが、その子その子のペースでそれに向かっていけるようにアプローチすればいいのだというスタンスが許容されていれば、「援助」としての概念が成り立ちます。

なのでそこには「落ちこぼれ」を生み出す必要はありません。



「指導」としての観点しかなければ、課題の達成出来ない子は落第点になってしまいます。
幼稚園としての学校教育であれば、比較対照する成績をつけることはないので落第ということはありませんが、厳密に考えたら、明確な目標から照らし合わせて達成できたかできないかという違いというのはどうしたってあるでしょう。


しかし、保育園としては「子育て」=「保育」ですので、そちらの方へと進む手助けをその子に合わせてしていればそれでなんら問題のないことです。
だからこそ「指導」という概念はではなく、「援助」で考えていくというのが現在の保育園の到達点なのだと思います。



ただ、おっしゃるような問題点というのははっきり急速に増加してきていますので、「援助の強化」「適切な援助の質の向上」といったことには今後さらなる努力を図らなければならないことであるのは間違いないことだと思います。

しかし、そうであるのに過密する職務内容などで思うようにそれができないところが大きな問題ですね。

ともじいさん

これは有益な情報をありがとうございます。

以前はFC2のブログ内検索でも、コメント欄にも適用される方法があったのですが突然その機能がなくなり不便に思っておりました。

おそらく本文よりもコメント欄の方が容量の多い珍しいブログでしょうからこれは助かります。


この方法ですと、相談内容に該当するものを探すことができますので多くの方の役に立つと思います。
早速見やすいようカテゴリのトップにおいて活用してもらえるようにしたいと思います。

本当にありがとうございました。

ハマナスさん

いろいろなところがありますからね。
おっしゃるようなところもたしかにあります。

こういうのは保育園や託児施設などでも同様のことがあります。

「あそこから来た子はみんな安定していないよね」といったこともあり、子供に職業として関わることの真摯さというものを痛感させられます。


上の子も休ませてのんびりしようかなと思うのですが、年中や年長ともなれば休まず行かせることが大切になるのでしょうか?

これはもうどうぞ遠慮なくお休みさせてあげてください。

保育園は楽しいばかりではありません。
疲れもするし、ストレスを感じもします。

それを極力少ないようにするのが保育園の職務ですが、それが家庭に勝るということはありません。

具合が悪くなってお休みするということですら、子供にとって精神的な骨休みとなることもあります。

大きくなるとそのようにお休みすることも少なくなりますが、そのようにお休みしたりすることでバランスがとれたりもするでしょう。


年長くらいになりますと、ときになにか大きな行事の前などでお休みして欲しくないというようなときもあるかもしれませんが、保育園は学校とは違いますのでお休みできるときにはお休みしてあげることはいいことだと思います。

ぽりさん

園というのは小さな社会です。
客観的に見つめる視点を常に確保していないとあっというまに澱んでしまい、何が目的なのか見失ってしまいます。

このことは直接日々の職務とは関わってこないのだけど、これに無頓着ではいけないのだと思います。

お返事ありがとうございました!

お忙しい中ありがとうございました。
しかもトップに案内していただけるなんて、本当にお役に立てて光栄です!

私はこちらのブログを、日記というよりもはや育児のノウハウがたくさん詰まったデータベースだと思っています。
こんなに貴重な情報を無償で提供して下さり、しかも個別の相談にも丁寧に対応されているおとーちゃんさんには、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

今後も、おとーちゃんさんの無理のない範囲で、こちらのブログが運営されていくことを陰ながら応援しています。

きのこままさん

本来ならば職能の違うところで、そういった措置がなされてしまっているわけですが、やはり問題点がないわけでもないようです。

現状はそれらが許容範囲で収まってはいますが、今後ニーズが先鋭化していったときに大きな問題へと発展しなければよいのですが。

ぴーとんさん

>おとーちゃんのいう「ごまかし」とは、「どんな口調であれ、何のためであれ、卑怯なことや嘘つきはすべきでない」ということでしょうか。

「○○してはならない」「○○をしなければならない」ということを子育てのなかでたくさん積み上げてしまうと、とても窮屈になって返ってうまくいかないこともあるので、絶対にするなというわけではありません。

成長期のときなどのように、正攻法だけではどうにもならないというようなときもありますしね。


でも、それはいくらでもやっていいと思ってするのと、気をつけながら使いましょうというのでは、同じ対応でも子供への影響というものは変わってきます。

あとは、現代の人は子供相手でなくとも、人と関わる力というのがどうも低下してきているようです。
真正面から子供に向き合うのを無意識に回避して、「ごまかし」や「脅し」で子供を誘導してしまうというのに流れやすくなっていると思われます。

安易にそれをしていると、子供が成長した時に直面する状況に、それまで回避を続けていた大人は太刀打ちできなくなって、対応を放棄したり、理不尽に押さえ込むという好ましくない対応になりかねません。

だからこそ、小さい子供であっても「だましの効くお子ちゃま」扱いをしてはよくないと僕は思います。


さまざまなものに畏敬の念を抱いていた、かつての人々はおそらく軽々しくそれらを脅しの材料等につかうことはそうそうなかったのではないかと僕も思います。
使うとしたら、大人の方も本気でそう思っている時ではないでしょうか。

現代人は、実のところそれらに価値を与えていないからこそ、人間の下において便利使いしてしまえるのでしょう。

返信ありがとうございます

こんばんは。お忙しい中、丁寧な返信をいただきありがとうございます。

>そういう意味で「指導」の語のもつ意味は、明確な達成すべき目標ありきということです。
変な言い方をすれば「型にはめる」ことが指導であり、それは間違っていません。

>保育指針で「ねらい」としているのは、それは目的ではあるけれども、必ず達せされなければならないこととがっちり決められているのではなくて、方向性でありそれにむかって援助していきましょうということであると思います。


>そこにあるのは、個々の差がを最初から認めているということです。

> しかし、保育園としては「子育て」=「保育」ですので、そちらの方へと進む手助けをその子に合わせてしていればそれでなんら問題のないことです。
だからこそ「指導」という概念はではなく、「援助」で考えていくというのが現在の保育園の到達点なのだと思います。


本当に仰るとおり、本来のというか理想の保育園の在り方とはそういったものなのでしょうね。

でも、きのこままさんが書いておられたように、延長保育をする幼稚園があったり、一方各種お稽古事系の時間を組み込んで講師を招いたりしているのを‘売り’にしている保育園があったりと、事業の形態も預ける保護者の意識も境界線のようなものが曖昧というか、いいとこ取りの欲張りともいえるし、どっちつかずの混乱もあるような気がします。

私の職場は企業園なので、めいっぱい「援助」して、かつ目標達成の「指導」をも期待されているようで、ちょっとやりすぎ感もあります。

大人の都合はどうあれ、育ちの主人公である子どものために最善を尽くすつもりで日々勤めていますが、ときどき、「援助」も「指導」も育児の丸ごとを外注され、それを業務だからプロだから当然と全面肯定して引き受けてしまっていいのだろうか?という疑問が頭をよぎることもあります。

それに加えて、保育士としての経歴(幼稚園経験のあるなしなど)がさまざまで、会社の理念で統一されているとはいっても微妙に違うクセをもった同僚たちと、子どもへの細かな対応のいちいちを刷り合わせていく作業は、非常勤の私にとっては、とても神経を使うところでもあります。

そんなわけで、こちらのブログを拝見して、お母さんたちの痛切なお悩みや、その相談に真摯にお答えになるおとーちゃんさんの返信を読ませていただくことは、日々グラグラ揺れる自分の足元を見つめ直して固めるために、大変参考になっています。

これからもたくさん勉強させていただきたいと思います。
ありがとうございます。



akikkoさんの質問で(^^)

すみません、思わずコメントしちゃいました。
akikkoさんの質問を見つけて、我が家の娘とほぼ状況が一緒で驚きました(^^)そして、ウチだけじゃないんだ〜と安心できました。
産後から慢性的に寝不足、授乳でお腹もすくし、ホルモンのせいで気持ちは赤ちゃんにメロメロ、上の子のバットタイミングにイライラ、こんな状態ですがおとーちゃんのブログを支えに頑張ってます!
本当に上の子の変化に思いあぐねいていたのでakikkoさんが質問してくださって助かりました。そしてそれに答えてくれたおとーちゃんに感謝です。
どうしても伝えたくて、ありがとうございます!

ちなみに我が家の場合ですが、出産ごっこの時に「もうすぐ赤ちゃんが生まれるの、女の子なのよ〜、名前はもう決めたのよ〜」とぬいぐるみ相手に会話風にすると喜んでます。そして生まれた後に娘が何か喋ったら「赤ちゃんなのに、もう喋れる!お母さんびっくり!なんて賢い赤ちゃんなのかしらっ」とか冗談を言ってみたりしてます。出産ごっこをすると甘えたい時は長く赤ちゃんのフリをするし、満足するとさっさと赤ちゃんじゃないよーといつもの姿に戻ったり、その時で違うので楽しいですね。

めろんさん、ありがとうございます

コメントへのコメントで失礼します。

めろんさん、同じようなお立場とのこと、コメントありがとうございます(^^) 私も励まされます!
出産ごっこは、仕掛けてみたのですが、うちの娘はなんだかあまり乗り気でなく。照れもあるのかな? めろんさんの方法も参考に、また誘ってみます。

ありがとうございました。

ご返信ありがとうございます

つい「〜すべき」と考えがちなので、おとーちゃんのコメントにはっとしました。
ごまかしはしないよう心掛けつつ、おおらかに子供と接していきたいと思います。
ありがとうございました。

おとーちゃんのコメントを読み返して見て、
「人と関わる力が弱くなっている現代人」は、人だけではなく様々なものへの畏敬の念を失って、関わる力も弱くなっているのかな、と感じました。

子供にしろ、鬼やお化けといった存在にしろ、自然にしろ…
そういったものとの関わりが減って、価値をなかなか見出せないからこそ、ごまかしがきくと思うし、軽々しく扱うのかなと、なんとなく感じました。

私も人との関わりが苦手な現代人の1人です。
鬼をごまかしに使わないとか、表面的なことではなく、他の存在を尊重し関わることを心掛けることが、結果的にいい子育てにつながるんでしょうね。頑張ります。


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楽しく無理のない子育てを広めたいと2009年ブログ開設。多くの方の応援があって著作の出版や講演活動をするようになりました。 現在は、子育て講演や保育士セミナーの他、『たまひよ』や『AERA with Baby 』等の子育て雑誌の監修やコラム執筆。『ジョブデポ保育士』の監修や育児相談などをいたしております。

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