2017-10

なにを与えないかよりも、なにを与えたいか - 2013.03.21 Thu

僕が書く事のわりと多くが、「当たり前」とされている現状への疑問というところから始まるので、とりようによっては「○○がよくない」とか「○○しないほうがよい」という話のように見えがちなのかもしれないけれども、本当はもう一歩さきのところを目指しています。

例えばこの前書いたキャラクターものについてであれば、「子供だから」と子供向けとされているキャラクターをなんでもかんでも考えなしに与えてしまうのでなく、それも選択肢の一つとして子供になにを与えたいかという視野を大人が持ってもよいのではないかというお話です。







子育てで、とかく心配になりやすい人は「○○したらよくないのではないか」というような考えになりがちです。
しかし、こういうのは自信のなさや不安感を大きくしてしまうので、せっかくよいことをしたとしてもなかなかそれはいい形で子供に反映しにくいです。

そして、「○○がよくないのではないか」という考え方はキリがありません。
いつまでも、心配や不安の中にとらわれてしまいます。


大切なのは、その「○○がよくないから、なくす」というところに留まるのではなく、子供に「どのようになっていってほしいか」「どう育ってほしいか」、そのためには「なにを与えていきたいのか」とその先を見据えることではないかと思います。





ここからは↑の考え方のひとつの反映というか、ほとんど蛇足のおはなし。
「子供と美意識について」

保育園や幼稚園には、壁面装飾としてよく可愛らしく色画用紙などで作られた擬人化された動物の絵などが飾られているわけだけど、なぜそれらは水彩画や油絵や活け花や、はたまた抽象画ではいけないのか?

「子供だから」ということで、こういった可愛らしいものや、キャラクターものを大人は子供にせっせと提供しているのだけど、本当にそれらでなくてはだめなのだろうか。

もちろん、そういったものもあっていいとも思います。


ただ、この子供にはかわいらしいものを与えればよいという、多くの人が普通に思っている感覚は、「子供のうちはそういうもので、大きくなってから大人の美意識のものを理解すればいい」という暗黙の前提があるわけです。

しかし本当にそれでいいのだろうか?

ある意味、それは世代における「美意識の断絶」ということを示しています。

「ここからこっちは子供向け、ここからあっちは大人向け」という風になっているのだけど、美意識といったものは、そういう性質のものでなく連続性の上にしか成り立たないことだと思われます。


そしてそのためにはむしろ、子供の時の経験や感受ということこそ大切なのではないだろうかという気もします。

例えば、舞踊や花道の家元とか、音楽家とかは、世襲や親子代々というのが大変多いわけだけど、もちろん大人の事情やそういった教育はあるにしても、やっぱり子供の時から培われる感覚や意識というものが非常に重要なためでもあるように思えます。


別にそういうことでなくとも、例えば抽象的なアクションペインティングなんかを目にしたとき、大人になってそれを見るよりも(こんなの子供でも描けそうねとか、これで何百万円もするのか、といったつまらない感想でなく)、よほど子供のときにそれを経験する方がより大きな心を揺さぶる経験になるのではなかというようなことも思います。


そして、こういったものを経験して、感じる力というのを身の内に形成するためには、美術館につれていってさあ見なさいというのではなく、普段の生活の中で意識するともなしに見たり触れたりしているうちにこそ身につくものではないかという気がします。

だからこそ、「子供だからキャラクター」という「当たり前」に安直に染まってしまわず、いろんなものがあるなかでの選択肢のひとつくらいに捉えるのがいいのではないでしょうか。


いま世の中で行われている「早期教育」というものは、学力的な意味でのお勉強が盛んに流行しているわけだけど、勉強なんかはあとでも習得できるのに対して、むしろこういった自分の意識の中に持たなければけっして身につかないたぐいの感受性や美的な感覚といったものの方こそ、大人は意識して子供に持たせていくことなのではないかと感じます。

まあ、その大人自身がきちんとそういったものを身につけている人で、そのような環境を整えている人であれば、ことさら子供に持たせようと意識せずとも、自然と身についていくのだろうけどね。
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● COMMENT ●

子供にウケる美しい絵本

こんにちは。

↓これ!
>保育園や幼稚園には、壁面装飾としてよく可愛らしく色画用紙などで作られた擬人化された動物の絵などが飾られている

息子の保育園でも毎月見事な“保育園らしい”季節の飾りが作られていて、
先生方忙しい中でよくやるな~と思います。

かわいらしいんだけど、私はあまり好きじゃないんですよね~

モンテッソーリの幼稚園などでは、こういうのはしないそうですね。
子供が落ち着かなくなると聞きました。

おとーちゃんがおっしゃるように、パッと見はかわいくなくて子供っぽくないものでも、
子供には本質に引き寄せられる能力を持っているのではないかと思います。

その例なのですが、
Graeme Base著のAnimaliaという絵本。

ABCの本で、各ページにそれぞれのアルファベットで始まる動物や
ものなどがぎっしり描かれたいます。

ものすごくリアルで、ものすごくかわいくない絵なのですが、
なんとも言えない力強さとユーモアに溢れる絵本なのです。

息子は3歳ですが、この本大好きです。
英語圏のアマゾンでも高い評価がついています。

興味あるところです!

幼稚園の壁面装飾って可愛くできていますよね。見るのも作るのも大好きです。

何の疑問もなく、子供ができたら作って部屋にはってあげようと思っていました。
でも今、やっていません。
家がゴチャついて見えるので…止めました。

それに「作っている時が楽しい」のですよね…。
糊やハサミを使えるようになったら一緒に作りたいと思います。

できれば幼稚園の壁面装飾をお手本にしないで工作したいです。

何かそこに意味があるのか分かりませんが、そういう考えに変わってきました。
こちらのブログの影響力でしょうか(笑)。


子供向けはわかりやすくするためか記号化されたものが多いので
それ以外にもきれいなものはたくさんあるよ~、と日常生活でも提示できたらいいなと思います。

なるほど、なるほど。


かわいい絵をみて、かわいい、うまく作るな、と思う反面、子供だましだなと感じてしまうのは、こういう事なのですね。


私があんまりキャラクターを好きでないのは、美的に幼稚にみえる、というのもありますね。


子ども自体も、きっと大人が思うほど、幼稚な存在ではない。家の娘をみてもそう思えますね。


おとーちゃんの観点、いつも面白いです。

松谷みよこ×いわさきちひろ

今回の記事をよんで、タイトルにあげた2人による赤ちゃん絵本が頭に浮かびました。私、この絵本見たときちょっと感動したんです。赤ちゃん絵本の常識からするとハッキリした色や太い輪郭っていう絵本が普通だと思うんですけど、いわさきちひろはあの淡い色づかい…ああ、2人は単なる赤ちゃん絵本ではなく、芸術的にすばらしい赤ちゃん絵本を作りたかったんだな、赤ちゃんを馬鹿にしていないんだなって。(もちろんハッキリした色や輪郭のも素敵ですが)

うちは1歳1カ月なんですが、もうちょっとしたらクレヨンと絵の具デビューしようと思っています。ほんとは和久さんのアトリエみたいなとこにいけたらいいのですが、いかんせん高い。なので、頑張ってスモッグ作って、ちょっとアパートでは怖いので(笑)公園とかで思い切りやらせてみようと思います。

No title

幼児~小学生の英語教室をしているものです。自分にも、幼児の子供がいて、こちらのブログ記事はとても参考にさせていただいています。

今日の記事、ものすごく共感します。
英語教室は、保育士おとーちゃんさんの中では早期教育の一つであまり芳しく思っていないかもしれませんが、その部分はいまは置いておいて(勝手にすみません、、)、、、
英語の歌をできるだけ耳にしましょう!と言うと、世のママさん達は、”どこで幼児用の英語の歌を探せますか?”と聞いてくるのです。

英語は、幼児歌だけではないです。そして、子供が子供の英語歌以外の英語歌を聞いてはいけない理由はないですし、むしろ色々なジャンルの歌を聞く方が自然な事です。

また、子供にこうなって欲しいから何を与えていこうか、と考えるべきという考えも共感します。
こうなって欲しい、の部分が子供の近すぎる将来(来年とか)だけを見ている親御さんが多いように思います。

蛇足はやはり蛇足?

メッセージ「なにを与えないかよりも、なにを与えたいか」は、育児上の悩みは、何を与えたいかを真剣に考えることで、解決するケースが多いと言いたかったのではありませんか?
特に、幼稚園選びや家事中の対応など軽微な問題に対しては。

コメント欄を見ると蛇足の方に注目がいってしまっている状態からは-本当の意図はわかりやすく例示したかったのかと思われますが-蛇足はやはり蛇足だったのかもしれません。

もしかすると「何を与えたいかを真剣に考え続けること」は、実はしんどい作業で、あまり人がやりたくないことかもしれません。
その結果、正解を拙速に求める、マニュアル主義、指示待ちといった姿勢になるのでしょう。

大人自身の感性

いま私が実践してることと、正反対の内容かも?!と思い、興味深く読ませて頂きました。(意図するところとズレていたらすみません)
最近、夫が職場でわらべうた研修に参加して、習ってきたわらべうたを息子に歌ってあげてます。私もちょうどシュタイナーの本を読んで、子どもにはわらべうたや民族音楽などの五音階音楽や笛などの素朴な楽器がよいと書いてあったのを読み、五音階の小さな木の笛を買ってみて息子に吹いてあげています。
つまりは、子どもには子どもに合う(と言われている)ものを与えているわけです。
やってみて今のところ、本当に子どもの感性に合うのかどうかはよく分からないのですが、笛の音はきれいだし私自身が五音階音楽が自分に合っているようで楽しいし、息子もわらべうたの旋律に合わせて言葉を発したり笑ったりして楽しんでいるようなので、まぁいいんじゃないかなと思います。
子どもの感覚に合うものと、単に子どもに媚びたものとでは、同じく子どものために作られたものなのに何が違うんでしょう?
考えてみて私が一つ思うのは、大人が触れてもよいと思えるかどうかということです。
例えば、大人は幼稚と感じながらもキャラクターものを子どもに与えるのは、大人がわざわざ好ましくないものを自分で与えているようなものなのかなと思います。
わらべうたを子どもに歌うとき、大人は子どもに返ったような気分で、ぶぅ~!と唇を鳴らしたりして一緒に楽しもうとします。
そこにはやはり、大人自身がよい・美しい・素晴らしい・楽しいと思えることが大事だし、必要なのかと思います。
だから、子どもに合うというものは、子どものレベルに合わせつつも大人にもまた合うものでなければいけないのだと思います。
結局のところ、大人自身が感性を磨いて、子どもにもそれを伝えようとするかどうかでしょうか。

矯正と育み

こんばんは。

今回も一行ごとに頷きながら読ませていただきました。私はよく同世代以上の教育に長く携ってきた方がたと意見交換をさせていただいてきたのですが、いつも、この

「なにを与えないか」=あれはダメ、これをさせて、その型にうまくはまるように・・・という意見に圧されてしまってきました。

「なにを与えたいか」=子どもの伸びる力を認めて信じて、大人にとってもよかったものを提示していく・・・という私の意見は、‘アメリカかぶれ’とか誤った‘子ども中心主義’だというような批判を受けてきました。

「なにを与えないか」というのは、「教育」の「教」が「矯正」の「矯(ためる)」になっていて、そういう方がたの意見は往々にして「体罰容認」とつながっていました。

私が「待って、信じて、育む」や、当然「体罰は身体と心への暴力だから絶対反対」などと書こうものなら、本当に頭にきちゃいますが、「‘たかが’保育士ふぜいが」「子どもと遊んでいるだけのくせに何がわかるか」「その軟弱な考えが日本を滅ぼす」なんて、総攻撃を受けたものです。

幼児に暴力込みの漫画のキャラクターを刷り込み、売り込む大人たちと、よい中学、よい高校、良い大学から良い会社に入って、競争の世の中を生き抜け!と叱咤激励する大人たちはほぼイコールですよね。幼児には、単純でカワイイものが適当と唱えている人たちも同様の臭いがします。おとーちゃんさんもよく言われるところの、教育がイデオロギーになってしまっていて、さらに国の経済とも密着しすぎているような気がします。

おとーちゃんさんが、「体罰主義」の記事を書かれて、この国の行く末を案じてから2ヶ月経った年明け早々、世の中は大阪のバスケ部主将の自殺問題が大きな波紋を投げかけ、いっきに「体罰禁止」、部活にも「メンタルトレーニングを」などと振り子が振れた感があります。でも、まだまだ現場でベテランと言われている指導者の方がたの中には「体罰も場面に応じては必要」と、おっしゃる人が多いように思います。

話がそれてしまいまいしたが、究極のところは、しつけの問題もすべて、子どもに自分で育つ力があると信じられるかどうか、大人が自分自身に自信がもてるかどうかだと思うのですが、いかがでしょうか?

目のこと

はじめまして。
つい1週間前にこちらのブログに辿り着いて
過去の記事から順にひとつひとつ拝見しています。
とても興味深い内容で参考になります!

おとーちゃんさんに相談です。
1歳6ヶ月になる息子がいるのですが
ほとんど目が合わない(輝きがない)ことを心配しています。
長文になりますがお手隙の時に目を通していただけるとうれしいです。

原因は“保育園での過ごし方”と“私の過干渉”だと今は考えています。

息子は0歳6ヶ月の頃から週に2日、保育園に通っています。
それまでは、明るくて笑顔が多く、体もよく動かす元気な子でした。
初めに?と感じたのが、保育園初日に迎えに行った時に
ぷいっとすねた様子だったこと。
こんなものだろう、すぐに慣れるだとう、と深くは考えませんでした。
ところが、1週間、2週間、1ヶ月、3ヶ月、5ヶ月…
日が経つにつれ、すねる時間が長くなり、保育園ではない日もすねて、
一日中、泣いて、泣いて、泣いて…泣いていない時間がほとんどないくらいに。
目があうことはまったくなくなりました。
6ヶ月になる前からハイハイができたのですが
ほとんどすることがなくなり、
泣いていないときは、お座りをして、悲しげな目でぼーっとしているだけ。
おもちゃにも興味を示しませんでした。
そんな中、保育園の中におじゃまする機会があり、気づきました。
先生たちの仲が悪いのです。カゲ口を言っているのです。
私が園長先生に挨拶をしても、いつも無視されてしまう。
そして、先生たちの子供たちへの対応が“サバサバ”していました。
泣いている子がいても遠くから「はいはいはいはいはーい」と声をかけているだけ。
「毎回対応するのは大変だから」とニコニコ笑いながら言っていました。
担当の先生が毎回変わるのも気になりました。
もちろん熱心な先生もいたのですが…良い雰囲気とは言える園ではありません。
お友達も同じ園に通っていたのですが
(偶然かもしれませんが)息子と同じような様子で、情緒が不安定でした。
そういえば、全国でも有名は保育園激戦区なのですが、その保育園には空きがあるのです。

保育園を疑う前は、何が原因か分からず、いろいろ試行錯誤しました。
心配で、発達障害や病気を疑って、専門機関を受診しました(問題はないとの診断でした)。
以前のように、明るく元気な子になってほしくて、
ハイハイや滑り台、階段登りを強要しました。無理に歩かせようとしました。
おもちゃをたくさん買い与えて、早期教育の体験レッスンにも行きました。
成果が出ることもなく、焦りからか、泣きじゃくる息子に暴言をはいたことが2、3度あります。
私は過干渉でした。息子にはとても申し訳ないことをしてしまいました。。。

保育園に疑問を感じはじめた頃(一歳0ヶ月の頃)に引越しをして別の園にうつりました。
こちらの園では良い先生に巡り会うことができて
そして私自身も自分の過干渉に気づくことができて
息子はだいぶ元気に。以前に比べると笑顔も多くなりました。

そして、おとーちゃんさんのブログに出会うことができて心強く思っています。
過去からさかのぼって1ページずつ読んでいてまだ途中なのですが
今は「尊重すること」を心がけています。
素直にこちらのお願いを聞いてくれることが増えてきてとても驚いています!
ひとつだけ相談があります。
元気になってきた息子ですが
人と目を合わせることがまだ苦手なようです。
目の輝きも少ないと感じます。
何か良い方法があったらぜひおしえていただけますでしょうか。
最近、息子は「目」に興味があるようで、一日中、「目」と言っています。

長文そして乱文にて失礼いたしました。。。
どうぞよろしくお願いします。

No title

もうすぐ年少になる娘のお友達も公文や学研、ちゃれんじ・・・他にも英語等みなさんいろいろ習っています。
ウチの娘はこちらのブログの影響や他の人の意見や本の影響もあって、早期教育をさせる気がないので、全くです。

先日、保育士の友人に言われました。
「子供は絵を読むよ」と。
確かにそうなんです。
ウチの娘はひらがなに多少興味はあるようですがまだまだ全く読めません。
でも絵本を知らない間に覚えて読んでくれたり、絵本の絵の細かいところを私に教えてくれたり・・・驚くことがたくさんあります。
読んでいる私は絵本の字を読んでいるので残念ながらほとんど絵は見ているようで見ていません。
子供に絵のことをいろいろ聞かれて、想像して一緒に考えたりするのですが、子供の発想に驚くばかりです。
ひらがなが読めてしまうと、こういう話を親子ですることも減るのかなと。

もっと大きな小中高校生に国語を教えている人に言われたのは、
「字を教えるよりもっと大事なことがいっぱいある。最近は字を早く教えすぎて想像力がないから文章が読めない子が多い」
「五感を使って考える力がない子が多い」と。
小さい頃からモノに溢れている生活や、自分で考えることや想像することをしないと、自分で考える力が付かないと。
なるほどなと思います。

どちらの意見もここのブログに書いてあることと通ずる部分が多いと思うのです。
正直私も周りのお友達がいろいろ子供に与えている(教えている)事を見て
多少焦ることがあったり、自分の考えからブレそうになることもあるのです。
与えるほうが与えないより簡単なのかなと思うこともあります。
でも、今回のブログをみて、ひらがなをまだ教えない(与えない)ことで想像力を与えていると考えるほうが良いのかなと思いました。

初めてコメントします

いつも楽しく拝見しています。現場にいる人間として、「その通り!」と共感できる記事をたくさん書いてもらっています。

私のブログときたら、おちゃらけすぎて保育士の品位を落としていそうで赤面です…

保育士として、もっともっと勉強して、おとーちゃんのような記事が書けたらなーと思っています!

何時の将来を見据える?

こんにちは。今回の記事、私は共感しました。

娘は今お人形遊びに夢中ですので、それを利用してバービーのDVD白鳥の湖やくるみ割り人形(チャイコフスキー)を親子で観ています。もしかしたらクラッシックバレエ音楽をこういう形で鑑賞するのは邪道かもしれません。でも、これをきっかけに、義両親の家で「本物の」バレエ(白鳥の湖)をテレビで見た時、曲とストーリーはだいたい覚えていたので真剣に鑑賞していました。『子供のころから本物を』を、ちょっと緩くした私流ですが。

子供の絵も楽しいですよね。娘はけっして絵が上手では無いのですが、自分の世界があるようで、書いた絵について「これは何?」と聞くとちゃんと説明してくれます。私が見ても意味不明なんですが(笑)それを私がコメントして後で見返してみるのが私の楽しみです。

娘はハーフなので将来これが「半分」ではなく「二倍」になるようにすることが私の「何を与えたいか」になると思います。先は長いのでぼちぼち、あせらずやっていこう。

共感します!

はじめまして。
うちには産まれて間もない赤ちゃんがいます。
うちの夫が教育熱心というか、とにかく子供にたくさんのきっかけを与えたい。という考えで
私も妊娠中から様々な資料に目を通して、「赤ちゃんは大人が思うような、未熟で幼稚なだけの、存在ではない。」と思うようになりました。
なので、子供向けにつくられた物だけでなく、名画や名曲といったものにも触れさせるようにしています。
「子供にはわからない」「興味を持たないだろう。」という
大人の勝手な思い込みで、子供の世界を狭めないようにしてあげたいですね。

English teacherさん

やはり親子の関わる多くの場で、そういった親の近視眼的な見方というのが感じられているようですね。

僕なんかが経験するのは、まだ年齢も小さいうちなのでそこまでヒートアップしているケースというのは、そうそう多くはないですが、やはり年齢も高まり教育の場であればそういった姿はなおさらなのではないでしょうか。

とかちさん

わらべうたなんかに関してですと、コダーイの理論にあるように、子供の認識できる・しやすい音階という機能的な問題があるので、これは子供だましで「子供向け」にしているわけではなく、必然的な理由があって「子供向け」をしているということだと思いますよ。

やまねこさん

学校における体罰がなぜなくならないか。

原因の一つに、教育現場にいる教師のなかに少なからず、体罰容認・体罰が必要と考えている人たちがいるという、当然ながらの現実があるのですよね。

もちろん、そう思わない人もたくさんいるのでしょうけど。


僕もこの問題を考えるとき、常々思うのがなぜもっと現場の教師たちが声を大にして、「我々が体罰をしないで教育をしていく」と言わないのだろうということです。

言えない現実があるのか、いろいろな大人の事情があるのか、そこまで日本の教育界は成熟していないだけなのか・・。


日本の戦後教育は、高等師範学校の否定・解体から始まったはずなのだけど、実質的にはそのやり方を踏襲してきた人たちがたくさんいて、やまねこさんが経験してきたようにそのレベルで教育を考えている人たちが支配的に牽引してきたという現実があるのでしょうか。


自分は教師であり「保育士ふぜい」という人たちが、論理的に考えるのでなく個人攻撃で議論を終わりにしてしまうということ、それ自体が教師である資質を自ら否定しているという、当然過ぎて実につまらないことになぜ気づかないのか、呆れてものも言えないですが、そういう精神構造の人たちだからこそそういうことが言えてしまうのでしょうね。


あのバスケ部の事件は、懲戒免職を撤回するように1000人を超える人の署名が集まったという、その後日談にあまりにびっくりしてブログで記事にしようかと思っていました。

不慮の事故であってすら、教師という立場ならば責任は免れられないものであるのに、ましてや自殺に追い込んですら、教師を続けていいと判断する人がそれだけたくさんいるというのには、驚きを隠せませんでした。


>究極のところは、しつけの問題もすべて、子どもに自分で育つ力があると信じられるかどうか、大人が自分自身に自信がもてるかどうかだと思うのですが、いかがでしょうか?

そうですね、「子供自身の力を伸ばす」のか「俺様が力をつけてやる」のか、戦後これだけの年数がたっても、まだそこから議論していかなければならないというのはとても残念なことだと思います。

たむたむこさん

お子さんの様子を実際みれないので正確なことは言えませんが、そういった子供の様子にはいろいろな原因が考えられます。

でも、ひとつ言えることは、今回のことに限りませんが、子供の様子というのは、今目の前にあるものが完結した状態ではないということです。

今後の成長の中で今目に見えている姿は、特になにをしなくとも勝手に変わっていくことかもしれません。


ですから、今の姿がたまたま成長の一過程で出ている一時期の姿かもしれないし、幼さゆえに出ているだけかもしれません、もしくはもともとそういう個性・性格なのかもしれません。

そのようなものであるならば、上のように成長の中で自ずと変わっていきます。

それをあまりにも大人が心配しすぎてしまっても、返って大人の不安やストレスを大きくしたり、子供もそこから安心できなかったりということがあります。

お子さんの姿がどういうものから来ているかわかりませんが、ひとつそのことは頭に置いておいてください。


僕はこういうとき、「あー、そうなんだ」から始めるということをよく言うのですが。

子供の様子を「現状の否定」として見るのではなく、あるがままの姿をとりあえず良い悪いは置いといて、「いまこの子の育ちはこういうところにあるのだ」と現状を受け入れ、それを肯定してそこから子供への見方・アプローチを考えるところから出発するということです。


この場合でしたら、「目が合わない・輝きがない、これではよくないどうにかしなければ」ではなくて、
「今この子の育ちの状態はこういうところにあるのだ、それは気になることではあるけれど、それも含めてこの子なのだから、それもひっくるめて認め・肯定してあげよう」
という気持ちにまずは親が立つことです。


それによって得られる、余裕やおおらかさ、子供からすると焦りのない親の気持ち、肯定されていないように感じる親からの視線がなくなること、などなどは、もうそれだけで大きな解決の一歩となることすらあります。



子供への関わりからくることとしては、たしかに「過干渉」が目の合わない子をつくってしまうことがしばしばあります。

それまでの過干渉の積み重ねを経験してしまっているために、スルーする力がついてしまうというケースです。

もしかすると、このパターンも考えられます。
もしそうであるとすれば、いまはご自身が過干渉であったことに気づいたのですから、少しずつでも変えていくことで、子供の様子にもだんだんと変化がでてくるでしょう。

ただ、子供の姿は急激に変わるものでもありません。
焦らないで、長い目でみていくことです。


いまは幸いにも納得のいく保育をしてくれる園にいかれたということですから、保育士に心配なことを話して、その点を気にかけてみてもらったり、気になることがあれば適宜相談なされていくと良いと思います。

また、もしかすると、家庭で見せる姿と園で見せる姿は違うこともありますので、園での姿に違和感がなければ、発達上の心配などは軽減することができるでしょう。

ありがとうございます

ていねいなお返事をいただいて、とてもうれしく思っています。
ありがとうございます。

> それによって得られる、余裕やおおらかさ、子供からすると焦りのない親の気持ち、
> 肯定されていないように感じる親からの視線がなくなること

改めて心に響きました。
過干渉を気をつけるようにして
心の奥では「あせってはいけない」そう思っていても
雰囲気で息子は私の焦りを読み取っていたのかもしれません。
頭の中では良い母親をシュミレーションできても
なかなかうまくいかないことで
余裕がなくなっていたと思います。

こちらのブログを知って、まだ2週間ほどですが
すっかり頼りにさせていただいています。
論理的なのにアナログ的な視点で分かりやすい事例が紹介されていたり。
本にしてほしい!と思うくらいです。
そして、おとーちゃんさんの保育園に息子と通いたいです。

まだこちらのブログの記事を過去からさかのぼって読み進めている途中で
すべてに目を通していないのですが
ひとつだけ。疑問に思っていることがあります。
おとーちゃんさんが、ご自身のお子さんを保育園に通わせている理由はなぜですか。
といいますのも、今まで20以上の保育園を見学して
その中の先生で
「自分の子供は保育園に入れずに幼稚園までは自分で育てる」とおっしゃった方がいたのです。
1人ではなく、別の園でも、また別の園でも。3人の方がそう考えているようでした。
いつか、記事の中で結構ですので、このことについて具体的にうかがえるとうれしいです。
もしかしたら過去を読んでいたら出てくるのかな。
保育園にあずけることで「子供にとって良いこと!」も知りたいです。

これからも応援しています。

たむたむこさん

>おとーちゃんさんが、ご自身のお子さんを保育園に通わせている理由はなぜですか。
といいますのも、今まで20以上の保育園を見学して
その中の先生で
「自分の子供は保育園に入れずに幼稚園までは自分で育てる」とおっしゃった方がいたのです。
1人ではなく、別の園でも、また別の園でも。3人の方がそう考えているようでした。


このように考えている保育士は、実際それができているかは別にしても、けっこう多いと思います。

僕もその一人です。

息子のときは正規で働いていたので、保育園に預けなければなりませんでしたが、現在は諸事情でやめてしまったのでむーちゃんは家庭で僕がみています。

子供が好きで子育てが楽しめる人間にとっては、ほんとうにこれは楽しく得難い経験です。

また、なぜそういった考え方をする保育士が少なくないのかについては、機会がありましたら記事の方で書いてみようと思います。


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