2018-05

「友達を作りましょう」の落とし穴 - 2018.04.12 Thu

前の記事にやはり同じような違和感を感じたというコメントをたくさんいただきました。

「友達を作りましょう」が、単にそれだけの意味であればいいですが、校長たちがこぞって言うのは「協調」を目指してのことです。

しかし、協調を押しつけることで人は他者と本当の意味で協調するようになるものではありません。
ここに気づけていないことが、学校にある種のゆがみをもたらしているのではないでしょうか。




乳幼児に対して、大人がよくやる関わり「お友達と仲良くしましょう」という呼びかけがありますね。
この子供に対して、「他者と仲良くしよう」という大人からのアプローチにどれほど意味があるかご存じですか。


このアプローチ自体が子供の内面的な成長に及ぼす影響というのは、実は0なのです。

元々他者と仲良くできる子に対してこれを呼びかけた場合、子供は大人の呼びかけの通りに行動するので、一見意味があるように見えてしまいます。
しかし、それは元々できる子だったからできているだけで、呼びかけが内面に及ぼしている結果ではありません。
その呼びかけをする当人には、「自分のアプローチの成果があった」と錯覚させる効果はあります。


なぜそう言えるかというと、元々仲良くできない子に対して、いくら「友達と仲良くしましょう」という呼びかけを山ほど繰り返しても、少しもそのようにはならないからです。

しかし、その呼びかけを頑張ってしている当人は、その呼びかけの効果がないことを理解できません。
その場合は、「その子がダメな子だから」という認識を自身に持たせます。
具体的な例としては、「ちゃんとしつけられていないから」「甘やかされているから」「親が悪いから」「親に愛情がないから」といったさまざまな理屈を持ってきて、自分のアプローチの効果がないことの自己正当化させます。
すると、その子を自分がケアする対象の埒外(らちがい)と無意識に見なすようになります。


これは「排除の論理」です。
大人が子供を「落ちこぼれ」にする瞬間です

子供同士仲良くさせる、つまり協調させるために、「協調しなさい」というアプローチは無意味なだけでなく、その子へのアプローチを放棄する結果を生みかねません。



学校長が、「友達をたくさん作りましょう」=「他者と協調しなさい」を上から子供に要求していくこの関わり。
これを引き起こしているのが、背後にある「集団→個」という大人の側の認識です。
ここには「個」を重視せず、「個」を集団に従属するものととらえている見方があります。

この認識が、子供へのアプローチのゆがみをもたらします。

不登校の子供たちを多く生み出し、いじめの状態を引き起こし、いじめの被害にあった子を救うことのできない遠因が、まさにこの大人の側の認識にあります。




「個の尊重」これを適切に理解する必要があります。
理念レベルでの理解と、実践レベルでの理解がともに必要です。

理念レベルでは理解しているが、実践としては少しも理解できていない大人が大変多いです。
学校長や、幼稚園の園長、保育施設の施設長といった人でも、こういった人たちが多数います。
あまつさえ、講演会などで人にさも自分はできているかのように、それを語ったりしています。
しかし、現実にはその人たちは実践できていません。
つまり、これは実のところ理念的にすら本当は理解しておらず、ただ聞こえのいい言葉を受け売りで覚えているだけなのです。


コメントには、校長のあいさつで同様のことを言われたという人が複数おりました。
これのひとつにはある理由があって、校長向けのあいさつのネタ本のようなものがあって、それを元に話している人もいるからです。だから似通ってくることがあります。
何十年も教職者をしてきて、自分の言葉で語るなにものかを持っていないというのはどうかと思いますが、実際そういう人がいるのが現実です。




さて、「個の尊重」の話にもどりましょう。

個を尊重するということは、つまり、他者と違うということを受け入れることです。

「先生」と呼ばれる人たちは、ここを受け入れることが大変難しいのです。

なぜか?
なぜならば、そのことが教育に対する浅い理解でいる場合、自分たちの目的に合致していないように見えるからです。



例えば、給食指導で考えてみるとわかりやすいです。

浅い理解で子供の教育を認識していると、「給食を残さず食べさせること」という目的を自分たちに課せられことと認識します。

そのように認識すると、「残さず食べること」が絶対の正義であるかのようにとらえてしまいます。
すると、「他者と違うことを受け入れる」ということが大変難しくなります。

大多数の子は残さず食べられたとしても、好き嫌いの多い子、少食の子などを心情的に許容できなくなります。
すると、「あなたたちは間違っている。残さず食べられることが正しいのだから、あなたたちは自分たちの現状を反省、自己批判して、正しい側に来る努力をしなさい」といった気持ちになります。


教育の目的を、正しいとされるいくつもの規範意識に子供をはめ込むことと認識してしまうと、個の尊重をするどころか、多数派や常識やモラル、マナーといった集団の論理を優先し、個の不尊重、さらには個の排除になり得ます。




不適切な対応をする教師にかかると、ここでハラスメントが起こります。
少し前に、給食を無理矢理子供たちに食べさせ、5人が嘔吐する事態になり、そこからそれ以外の過去の不適切対応が明るみになり、処分を受けた教員のケースがありました。

これをしている教員には、その不適切行為の最中ですら、自分の行いが間違っているという認識はなかったことでしょう。
その人にとっては、「残さず食べさせること」は「正義」なのです。
これは、モラルを理由にしたハラスメントなので、モラハラ(モラルハラスメント)になります。




このように、教師という職業の性質には、個の尊重することを難しくする傾向があるのです。
その心理状態からすると、個を尊重(=違いの許容)するよりも、そこの生徒に集団の理屈を正義と認識させるプロセスを強化し、その方向に半強制的に子供を進ませることが心理的にもっともすっきりします。

つまり、「協調」です。

この、「集団の理屈を正義と認識させるプロセス」は、ときに「私の言うことに逆らうな」と同質化することすらあります。
ここまでくると、「支配」です。


またそのような協調の強制や支配を要求する心理を持つと、「その方向に半強制的に子供を進ませること」、この状態を「自主的」「主体的」と認識することがあります。

それゆえに、少しも子供の自主性・主体性を理解も、実践もしていない人が、「私は子供の自主性・主体性を尊重しています」と堂々と言えるようになります。

実は半ば強制的であるにも関わらず、その人からは子供がまるで自分から進んでそれをしていると見えてしまうわけです。
ここには、ある種の「認知のゆがみ」があると言っても過言ではないでしょう。

羊の群れが、牧羊犬に追い立てられて柵の中に入っていく姿は、それが羊自身の足で歩んでいるといえども、それは自主性ではないのです。




さて、ここまで見てきたことで、「友達をたくさん作りましょう」=「他者と協調しなさい」が、教員のあり方として問題のあることがわかってきたかと思います。


本当の意味で子供を「伸ばす」「教育する」のであれば、集団の論理からスタートしてはそこにたどり着かないのです。

「他者と違うこと」「できないこと」といった、一見、負のように見えることを受け入れる視点を獲得しなければなりません。

そのためには、自身の持つ「規範意識」「これが正しい」「正義」「普通」「常識」「モラル」「マナー」などに飲み込まれないスタンスを得る必要があります。


また、並行して教育の大目的(グランドデザイン)としての、「均質化した人間の育成」から卒業する必要があるでしょう。

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● COMMENT ●

支配

教育関係者です。
私は自分の子育てを通じて須賀先生の考えに激しく共感し、実践に生かそうともがいているのですが、まさに上滑りしております・・・。本来個を尊重すべき特別支援教育なのですが・・・。
幼児教育において個の尊重が重要なのは多くの人が理解できることと思いますが、従来の学校教育はスタンスが違うのですよね。幼児期は好きにやらせてもらってきたんだからもういいでしょ、これからは集団の中の一員としての意識を育てていかないと、というモラルの押し付けが強烈に始まるのです。
自主性、主体性は、育てば尚良いけど、低学年では特に、必須とはされていないように感じます。まずできなければいけないのは集団に問題なく参加していけること。そのためには勝手な行動は慎んでもらわなければならないので、椅子に座っていられること、勝手に話さないことなどを入学当初はお約束として指導していきます。気のきく子が友達の世話をしたり次の活動の準備を手伝うのすら、できない子にとって規律が分かりにくくなるのでお断りしたりします。
少ない教員数での集団指導が前提なので、集団化できないと安全に子供達に様々な経験をさせてあげられない、一見不自由なようでも、誰とでも仲良く集団でやっていけるようにする事が、子供達に活動の自由をもたらすという考え方です。
ここに個人で斬り込むのは容易ではありません。保護者の要求もありますし、睨むだけで子供が言うことを聞くような、きちんと(?)支配できるのがいい先生というような空気もあります。目指すべき姿を学期の目標に掲げ、学期末には具体的な行動(出来るようになったこと)を記述して評価もしなければなりません。そして、教員自身も指導の成果(自分の指導により子供がこのように伸びた)を自己評価して校長と面接しなければなりません。評価には客観性が求められるので、目に見えない成長や子供が大人になってから現れる影響等、本当に大切にすべき事はうまく反映できない場合が多いのです。
須賀先生は以前の記事で、「子育てにタイムリミットを設けない」(いつまでに〜できなければ、と考えない)ほうが良いとおっしゃっていました。家庭の育児では非常に共感した部分ですが、学校はまさにこの逆。卒業までに身につけさせなければならないカリキュラムでがんじがらめになっていて、それを逆算する形で◯年生ならばここまでできないと、というリミットが細かく設けられて、教員も疲弊しています。
もちろん、共感してくれる仲間もいます。もっと事務仕事減らして指導に専念できるようにして自主的主体的にやらせてくれたら、もっといい指導ができるのに、などと話しています。がんじがらめにしないとちゃんとできないと思われている?結局私たちも支配されているのです。支配されることは信じてもらえていないということ、悲しいです。ハラスメントの再生産にならないようにしたいと思います。

今日も気付きをありがとうございます

最近一連の記事は親向けの記事ではないかもしれませんが、胸にささるものがありました。
子どもが3人になり、下の子も赤ちゃんから幼児になりつつある年齢で、朝と夕方に「思い通りに行動してもらうために」管理と支配の関わりを最近してしまっています。自分で気づいているんです。でもどうしようもなくて。
ごはんも「私が食べてほしいから」なのに、全部食べさせるような関わりをしたり、食べようとしなかったらあからさまに不機嫌になってしまったり、「食べない子どもが悪い」ような感じになってしまいます。
何かと行動がゆっくりな長男に対しても、早くしなさい、置いていくからね、ちゃんとしないから悪いんでしょ、みたいな関わりばっかり…
言われてみれば発達障害グレーの長男に、担当の保育所の先生から「小学校に入ったときに困らないように」「周りについていけるように」みたいなことを言われてから、自分の好きなことに夢中になってしまう長男の個性がひっかかるようになってしまった気がします。それまでは私自身近くに行って肩を叩いて促したりできていたのに、大きな声で呼び掛けて来なかったら叱る又は置いていくといった関わりになってしまっているような。決して悪い先生ではないと思うんですが、やっぱり集団>個なのかな。保育所の集団生活では仕方がないと思っていたけど、そうではないのかな。
でも年齢的にももうすぐ5歳だし…でも5歳だから出来るようになる、出来なければならないっていうのもおかしいですよね…
モヤモヤしたまま書いているので支離滅裂になってしまいました。
せっかくここまで築き上げてきた長男の自尊心を打ち砕くような恐怖を最近抱いていたので、今気づけてよかったです。自分を見直そうと思います。

最低限の、、

育休中で公園、児童館、保育園によく行きます。そのせいか嫌な場面をここ数ヶ月だけで何度も目撃しています。一才児の片腕だけをもちあげ移動させている男性保育士。やめろ、ちかずくなと泣いてる五歳くらいの男子にいい放った女性保育士。新一年生ひとりをフロア全体に響くような声で叱る男性学童指導員。
おとーちゃんの教育論はいつも勉強になります。ため息がでるくらいに立派です。しかしながら、保育や教育の現場はこのような論も通用しないような、もっとずっとずっとずーっと低いレベルにあるのではないでしょうか、、

 いつもブログを拝読しています。
 来年度、私の長女は小学校入学、長男は幼稚園入園を控えています。私自身、小3の頃からずっと不登校でしたので、入学にはおびえのような感情を持っています。私が小学生だった何十年も前から、学校の体質が変わっていないと聞くと、辛いものがあります。

 おとーちゃんさんのような考えを発信してくださる方がいるのは、とても心強いです。ただ、現状では、そのような学校へ子供たちを送り出さねばなりません。親としてこのような学校に関わっていくにあたって、意識すべきことや心構えなど、おとーちゃんさんの思うところがありましたら、伺いたいです。

 私自身が自分の育ちを克服できていないので、子供たちに不適切な関わり方をしてしまいます。それが不適切だと意識できることもあれば、無意識にしてしまっていることも多々あることと思います。

 我が娘は、もともと緊張が強く、幼稚園になじむまでも時間がかかりました。今年度、慣れた幼稚園であっても、進級したことがストレスになっていることが見えます。そのうち大丈夫になることとは思っていますが、これが小学校入学となったら・・・と不安になってしまいます。

 これからも、更新を楽しみにしています。


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