親のタイプから考える子育ての形 vol.2 - 2017.05.17 Wed
前記事で、1,支配型のところ、上段の一覧では、
b,「エゴ」タイプ
c,「勉強熱心」タイプ
と記載しておりましたが、
b,「勉強熱心」タイプ
c,「エゴ」タイプ
正しくはこちらでした。訂正いたします。(現在、前記事は修正済み)
では前回の続きから。
c,「エゴ」タイプ
子供の存在や行動を自己の満足のために使ってしまうタイプの子育てです。
その程度はさまざまです。
単に自分の趣味や都合にあわせるために子供を振り回してしまうといった、親の自分勝手、わがままといったレベルから、子供の行動や成果によって自己を満足させないと子供を攻撃してしまうといったもの、もっと直接的に子供に親への感謝を強要したり、「お父さんは立派です」と賛美させたり、自身の意見に同調することを暗黙の内に強要したりといったケースまで。
こういった子育ての背景には、その親自身が持つAC(アダルトチルドレン)の問題や、自己愛性人格障がい、強迫性人格障がいといった問題がある場合もあります。
自己愛性人格障がいの人は、「子供のため」と言いつつ、子供の行動を自分の思い通りに支配することに強い満足感を感じます。(全能感)
逆に、そうならないことに対してはとても感情的な反応を示し、それは子供への激しい攻撃となります。
そのような「人格障がい」といったところまではいかずとも、この傾向を持つ人、この傾向の子育てをしてしまう人は少なくありません。
なぜなら、このような子育ては拡大再生産されていくからです。
こういった方向で子育てをされることで、その子供は適切な愛着形成を阻害され、自身もなんらかの人格障がいを持たされてしまうことがあるからです。
人によってはその親と同様の自己愛的な性質を持たされてしまうこともありますし、逆に不安障がいやコミュニケーション障がいといった自身が生きづらさを募らせてしまう方向の性質を持たされてしまうこともあります。
自己愛的な性格の親から常習的に体罰を受けるといった子育てをされることで、その人も自己愛的な性格を持たされたり、愛着障がいからくるなんらかの難しいパーソナリティを持たされてしまうことがあります。
これらは「体罰」の連鎖、体罰肯定論を支持する人にもつながります。
「人格障がい」と単に「難しい人格」の境は、実際の所あいまいです。
その人格ゆえに社会的になんらかの困った問題が出てきてしまうと「人格障がい」と呼ばれるようになるのであって、「人格障がい」のレベルにいかずとも同様の傾向を持つ人はたくさんおります。
特に日本のスタンダードな子育てになっている「しつけ」という考え方は、親から子供への支配を内包しているのでこういった問題を引き起こしやすいと言えるでしょう。
モラハラやいじめをする人にもこの自己愛性人格障がいの傾向を持つ人は多いです。
ドラえもんに出てくるジャイアンは、かなりこの自己愛性人格が特徴的だと言えるでしょう。
あれはフィクションだから笑ってみることができますが、現実の存在としたらそうとうやっかいです。
「のび太のくせに生意気だ」というジャイアンのよく出てくる台詞があります。
この台詞はちょっとレトリックとしておもしろいのですね。
「のび太は生意気だ」「のび太が生意気だ」と言うところを、あえて「くせに」とつけることである部分を強調させています。
フィクションとしてみれば、そのレトリックゆえにちょっとおもしろい台詞となっているのですが、この「くせに」がなにを強調しているかというと、上下、支配関係なのですね。
これをあえて、わざわざしているのでしたらある種のウイットでもあるのですが、もし、素で他者と自己の関係をこのようにとらえているとしたら、人格上の問題がある可能性があります。
それは他者と自己を、常に上下、支配・被支配の関係でしかとらえらないという特徴を持っているということです。
そして日本社会の中ではこのレトリックを実はたくさん見ることができます。
「子供のくせに○○・・・・・・」
「ガキのくせに」
「若造のくせに」
「女のくせに」
「中学生のくせに」
「パートのくせに」
「高卒のくせに」 etc.
といった表現やこれに類することを大人、特に年配の人たちが普通に使ってはいないでしょうか。
日本の社会にはハラスメントの土壌が蔓延していると言えます。
また、「お前のモノは俺のモノ。俺のモノは俺のモノ」というジャイアンの有名な台詞もありますが、これも自己愛性人格の特徴を示しています。
それは「自我境界」のあいまいさという特徴です。
自己愛性人格の特徴のひとつには、他者と自己が別個の存在として独立していることを適切に認識できないというものがあります。
それゆえに「他者は自分の満足のために存在している」と素で思えてしまいます。
ですので、自分のために他者を動かすことになんの疑問も持ちません。
結果、他者を支配することになります。
あくまでジャイアンはフィクションの存在ですが、支配的な親から支配的な人格を形成されてしまうというある種の典型であると言えます。
b,「エゴ」タイプ
c,「勉強熱心」タイプ
と記載しておりましたが、
b,「勉強熱心」タイプ
c,「エゴ」タイプ
正しくはこちらでした。訂正いたします。(現在、前記事は修正済み)
では前回の続きから。
c,「エゴ」タイプ
子供の存在や行動を自己の満足のために使ってしまうタイプの子育てです。
その程度はさまざまです。
単に自分の趣味や都合にあわせるために子供を振り回してしまうといった、親の自分勝手、わがままといったレベルから、子供の行動や成果によって自己を満足させないと子供を攻撃してしまうといったもの、もっと直接的に子供に親への感謝を強要したり、「お父さんは立派です」と賛美させたり、自身の意見に同調することを暗黙の内に強要したりといったケースまで。
こういった子育ての背景には、その親自身が持つAC(アダルトチルドレン)の問題や、自己愛性人格障がい、強迫性人格障がいといった問題がある場合もあります。
自己愛性人格障がいの人は、「子供のため」と言いつつ、子供の行動を自分の思い通りに支配することに強い満足感を感じます。(全能感)
逆に、そうならないことに対してはとても感情的な反応を示し、それは子供への激しい攻撃となります。
そのような「人格障がい」といったところまではいかずとも、この傾向を持つ人、この傾向の子育てをしてしまう人は少なくありません。
なぜなら、このような子育ては拡大再生産されていくからです。
こういった方向で子育てをされることで、その子供は適切な愛着形成を阻害され、自身もなんらかの人格障がいを持たされてしまうことがあるからです。
人によってはその親と同様の自己愛的な性質を持たされてしまうこともありますし、逆に不安障がいやコミュニケーション障がいといった自身が生きづらさを募らせてしまう方向の性質を持たされてしまうこともあります。
自己愛的な性格の親から常習的に体罰を受けるといった子育てをされることで、その人も自己愛的な性格を持たされたり、愛着障がいからくるなんらかの難しいパーソナリティを持たされてしまうことがあります。
これらは「体罰」の連鎖、体罰肯定論を支持する人にもつながります。
「人格障がい」と単に「難しい人格」の境は、実際の所あいまいです。
その人格ゆえに社会的になんらかの困った問題が出てきてしまうと「人格障がい」と呼ばれるようになるのであって、「人格障がい」のレベルにいかずとも同様の傾向を持つ人はたくさんおります。
特に日本のスタンダードな子育てになっている「しつけ」という考え方は、親から子供への支配を内包しているのでこういった問題を引き起こしやすいと言えるでしょう。
モラハラやいじめをする人にもこの自己愛性人格障がいの傾向を持つ人は多いです。
ドラえもんに出てくるジャイアンは、かなりこの自己愛性人格が特徴的だと言えるでしょう。
あれはフィクションだから笑ってみることができますが、現実の存在としたらそうとうやっかいです。
「のび太のくせに生意気だ」というジャイアンのよく出てくる台詞があります。
この台詞はちょっとレトリックとしておもしろいのですね。
「のび太は生意気だ」「のび太が生意気だ」と言うところを、あえて「くせに」とつけることである部分を強調させています。
フィクションとしてみれば、そのレトリックゆえにちょっとおもしろい台詞となっているのですが、この「くせに」がなにを強調しているかというと、上下、支配関係なのですね。
これをあえて、わざわざしているのでしたらある種のウイットでもあるのですが、もし、素で他者と自己の関係をこのようにとらえているとしたら、人格上の問題がある可能性があります。
それは他者と自己を、常に上下、支配・被支配の関係でしかとらえらないという特徴を持っているということです。
そして日本社会の中ではこのレトリックを実はたくさん見ることができます。
「子供のくせに○○・・・・・・」
「ガキのくせに」
「若造のくせに」
「女のくせに」
「中学生のくせに」
「パートのくせに」
「高卒のくせに」 etc.
といった表現やこれに類することを大人、特に年配の人たちが普通に使ってはいないでしょうか。
日本の社会にはハラスメントの土壌が蔓延していると言えます。
また、「お前のモノは俺のモノ。俺のモノは俺のモノ」というジャイアンの有名な台詞もありますが、これも自己愛性人格の特徴を示しています。
それは「自我境界」のあいまいさという特徴です。
自己愛性人格の特徴のひとつには、他者と自己が別個の存在として独立していることを適切に認識できないというものがあります。
それゆえに「他者は自分の満足のために存在している」と素で思えてしまいます。
ですので、自分のために他者を動かすことになんの疑問も持ちません。
結果、他者を支配することになります。
あくまでジャイアンはフィクションの存在ですが、支配的な親から支配的な人格を形成されてしまうというある種の典型であると言えます。
| 2017-05-17 | 過保護と過干渉 | Comment : 6 | トラックバック : 0 |
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