子供にはなにか熱中できるものがある - 2013.12.24 Tue
本屋さんへいけば、すでに0、1歳向けとして押せば電子的な音のでる絵本がたくさん売られており、しかもそれが「子供の能力をのばす」といった宣伝文句で置かれています。
乳幼児向けに戦いをメインテーマにしている、本やメディアもたくさんあります。
遊具もやはり刺激を出すことで子供をひきつけるものが、主流になっており、それをなんの疑問もなく大人は子供に与えています。
親は子供をあやすために携帯電話やスマホ、タブレットを普通に使います。
テレビは大きな刺激に満ちており、多くの子が食事中も含めてそれらにさらされています。
そして、子供同士が身体を動かして遊ぶ、時間や場、仲間は減っています。
こういった状況があるなかで、現代の日本において子供がテレビゲームといったものに行き着いてしまうのは、これら環境がもたらす必然であるのではないでしょうか。
以前、テレビゲームなどについて書いた記事では、それらを「与えない」、「禁止する」といった意味合いで受け取った人も少なくないようでした。
しかし、実は僕はそのような文脈では書いていないのです。
(以前の記事では話が複雑になるので、そこのところまでは触れていませんでした。それについてはまたの機会にまとめたいと思っています。)
結局のところ、これらの環境が子供を作っているという部分があるので、刺激物なりテレビゲームを「与えない」というだけでは、解決しない問題であると僕には見えます。
逆の見方をすれば、「それに代わるものを持っていない・持てなくなっている」という問題があるのです。
今の日本の一般的な子育ての流れに、そのまま流されていれば親が好むと好まざるとにかかわらず、テレビゲームのような刺激の強いものに行き着いてしまうのは、なかなか避けがたいと思います。
そこで今回のテーマにした「子供にはなにか熱中できるものがある」ですが、子供にはそういう部分があり、またそういう部分を大事にしてあげるというのも大切なことだと感じます。
子供の熱中できるものをテレビゲームにしてしまうのは簡単です。
でも、↑のような今の状況・環境では、それを子供に持たせてあげたり、それを伸ばしてあげるというのは大人の方にその意識がなければ難しくなっているのではないでしょうか。
それはなんでもいいと思うのです。
絵でも虫取りでも、運動でも。なにかひとつでもあればね。
でも、今の子供たちを見ていると、それがテレビゲームにしかならない道がひかれているかのようです。
このことに今少し大人は気づいてあげなくてはならない段階に来ていると思います。
まだ、12月も今少し残っていますが、できるだけ溜まってしまっているコメントの返信をしていきたいので、年内の記事の更新はここまでにしようと思います。
今年もたくさんの方に読んでいただきました。また、コメントや応援などもたくさんいただき本当にありがとうございました。
おかげでこのブログもずいぶんと長く続けることができています。
ここで書いてきたことが少しでも子育てのお役にたてていれば幸いです。
では、どうぞよいおとしをお迎えください。
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● COMMENT ●
感想とお礼
私が二回目の育休に入り、子供のことしか考えない毎日に、正直とてもしんどいです。本当に、考えすぎてしまうのです。悩んで色々見ているうちにここにたどり着きました。
支援センターで、話を聞いてもらったこともありますが、「お母さんは頑張ってる。大丈夫。自分を責めないで。」など言われても、そういうことを言われたいのではなくて、実際、子供について、具体的な話がしたいのに、どうも的が外れてしまって、全くスッキリしません。
来月三歳になる息子と、5ヶ月になる娘がいます。一才3ヶ月で、息子は保育園に入りましたが、下が産まれ、私が育休中の為保育園を退園しました。元々、人見知り、場所見知りが強く、何回会っても、なかなか人に心を開きません。最近は、人に話しかけられると、顔の左側だけが歪む表情が癖になってしまいました。周りの大人からは、少し気難しくて、育てるの難しそうだね、と言われています。(お菓子が食べたい等の、ワガママを聞いてもらえないと、キーキー泣きわめいたりもします。泣いても絶対譲りませんが、抑えるのに結構大変です。オモチャの取り合いも、年下には割と優しいのですが、同じくらいの年の子には絶対に譲りません。)
なかなか人になつかないのは、まず、基となる私との信頼関係がうまく築けていないからなのか?と不安になります。
しかし、相手によっては、心を開きだすと、急にベッタリくっついて、「○○ちゃん、見て!」「○○ちゃん、作ったよ。あげる!」と私の友達に、付きまとい、私が「ママにもちょうだい」等いうと、「ママじゃない!!」と言ってきたりします。そういうことをわざとして、私の気を引こうとしている感じにも見えず、(私の方を見向きもしないので)、本当にその時ばかりは、純粋に、その子に依存しているような感じです。こういう行動は、どういう気持ちからきていると思いますか?私の家での遊び方が足りないせいで、遊んでくれる人を見つけると、こうなるのかなぁ?とか、とにかくいちいち考えてしまいます。別に、私としては、人になついてくれるのは、嬉しいことなのですが。ネガティブ思考なんで、それが引き起こる心理状態とかをいちいち気にしてしまいます。長々と申し訳ありません。時間のある時でいいので、お返事頂けたら光栄です。
こんなこと考えず、気楽に育児ができたら、きっと色々変わってくるんだろうなー。まず自分が変わらなきゃ、ですね…。
刺激のあるもの、あちこち多いですよね。
一番感じるのは、大人と子供の領域の
区別が現代ではほとんどなくなってしまったことです。昔は子供つれて出かけられるところなんて日中に行けるホント限られた場所しかなかったし、子供が携帯電話やゲームなど高いものを持つなんて親が許さなかったものですが今は車のある家庭も増えたし、車で朝から晩まで子供をつれ歩くことも可能になり、それも容認されるような世の中になってきました。親も仕事や生活に余裕がなくなり、子育てがただ煩わしいただの苦行になりつつあるのかもしれませんね。
おとーちゃんさまのおっしゃるように子供に順風がふくということは大人にも順風が吹くということを大人の側がもっと意識するべきですね。
2才10ヵ月の娘は今料理にハマっていて最近は楽しく二人で料理の支度をしています。そんな日々が過ごせるようになったのもこのblogのおかげです。ありがとうございました。寒いですが、ご家族で良いお年をお迎えください
子供について考える。
そんな風に子供のことについて考える、っていいなって思いました。
好きなものはなにかなー、大事なものはなにかなー、興味のあるものはなにかなー、やってみたいことはなにかなー・・・。
たくさん考えてみます。
No title
アンパ◯マンのお腹を押すと、音楽が流れてアンパ◯マンの人形がジャンプし、時には音楽ではなく数を数えながらジャンプするというおもちゃでした。ものの数回で我が子も甥っ子も興味を示さなくなりました。
まぁ説明書には、数を自然と覚えるとか認知力があがるとかなんとか研究所が研究した成果の結集がこのおもちゃだとか、能書きがタラタラと…!なんとか研究所まで登場して、刺激的なおもちゃを推薦してるんですよ(^^;;すごいー(T ^ T)
ゲームじゃない熱中できること…一緒に見つけたいな(^○^)
前回のこたつ効果の記事のむーちゃんの姿をよんで、ふと聞いてみたくなったんですが、おとーちゃんさんは、わたくんやむーちゃん達と赤ちゃん時代どんな遊びしてました?
なんかおとーちゃんさんが普段自分のお子さんと、どんなことしてすごしてるのか聞いてみたくなったのです。
また、お時間のある時にでも教えてくださいー^_^
以前のお礼と相談
寝ない子を扱っているブログも教えていただきありがとうございました。
寝る間だけおしゃぶりに頼ってしまいましたが、かなり夜寝るようになりまして気持ちも楽になりました。
癇の虫は相変わらず強いのですが…
夜寝るようになり、泣く時間も一日中から何時間かに減って大分楽になったのですが
欲が出てしまい…
子供の好奇心を危ないから、もっと大人しく遊んでくれたら自分の時間が作れるのに
など、自分の都合のよい行動をしてほしいと思ってしまい、違う行動をとる子供にイライラしてしまったり理不尽に怒ってしまいました…
そのせいで、子供が私にたいしてぐずったり泣きわめいて怒るようになってしまいました。
旦那はおおらかな人なので、子供も一緒にいて楽しいようで泣きわめくこともなく
二人でニコニコ楽しそうにしています。
子供と楽しくすごそうと思っていても、泣きわめかれると、イライラしてしまって怒る。自己嫌悪の繰り返しです。
私が変われば子供も変わってくれるでしょうか?
子供の寝顔を見ていつも謝ってます。
お時間のあるときでかまいませんので、お返事頂けると幸いです。
No title
コンピューターの登場が人にもたらしたメリットとデメリットや、自分が子供の頃テレビゲームが登場する前になにしてたかなあとか。
兄たちが、メンコやビックリマ○シールをやっていて、テレビゲームの役割はそれに似ているような(とりあえずの遊びのような)気がしますが、メンコやビックリマ○がリアルで対面で能動的に遊ぶのと違いテレビゲームは受動でバーチャルなんだなあなど。
私の父は、ファミコ○が登場してから数年間買ってくれませんでした。一番下の妹が小学生になる年まで待っていたようです。私や兄は小学校真っ只中で毎日ブーイングでしたが、父がファミコンが嫌いで、子供に良くないと思っていたことはそのおかげでよくわかったので、ファミコ○を買ってもらった後も、優先順位は最後にしないとなんだな。とそういう行動がなんとかとれましたし(父に怒られるからだったかもしれませんが)、外遊びや自然の中での遊びもよくしました。
もし、テレビゲームを自分の子に与えるようなことになったら、父と同じくらいそのデメリットをちゃんと子供に理解させてからにしないとなのだなあと思いました、が、まだ私の子は一歳で、小学生になった時には母子関係や子育ての悩みもどんどん変わっていてそう簡単にはいかないのかもしれません。
今回の記事を読んで、産まれた時から携帯もゲームも含め、デジタル機器であふれかえり、近所でのびのび遊べる場所の少ない子供は大変なのだなあ。そんな環境ではゲームに行きつくのだなあ。と思いました。
ある育児の本に「昔は家の前の道路が子供の緩衝地帯で、親に怒られたりやなことがあってもそこにでて遊んで家に帰ればまた元どおりだった。」というようなことが書かれていたのですが、全くその通りで、今は子供どころか、母親にも窮屈な時代。(よくしてくれる人ももちろん沢山いますが)でもその中で、自分も息子と成長しながら、何か熱中できるものを一緒に探そうと思いました。
返信不要です!
相談です
それなのに2歳の娘がアウトオブコントロールとなり子育ては大変!ループにはまってしまいました。
記事とは関係の無いコメントですが、パソコンに向かう時間が今しか取れないので申し訳ありませんがここに書かせて下さい。
2才8ヶ月の娘と5ヶ月の息子がいます。現在育休中です。
おとーちゃんさんのブログを参考にし、受容的な態度を取り、かわいいとか大好きだよとか毎日言い、くすぐり遊びやごっつんグリグリなど暇さえあればやり、お風呂ではスキンシップを取り、寝る前はお布団で絵本を必ず読んでいました。
ましてや、下に赤ちゃんが来たので、お姉ちゃん扱いせず、できるだけ娘を優先し、トイレトレーニングももイヤだというので止めたり細心の注意を払っているつもりでした。
しかし、口を開けば「イヤ」ばかり言うようになりました。
この寒いのに裸足でサンダル、上着は着ない、お店へ行くとあっとうい間に走り出していなくなる、家に帰りたくないと駄々をこねる(帰るよと言ってから帰るまでに一時間以上かかります。児童センターでは最後の一人になるまで帰りません)歯磨きもお風呂もいやだと言い二人入れるのに毎日2時間以上かかります。
お風呂の場合、入ると遊んでしまって今度はお風呂から出ません。出来るだけ娘に付き合っていますが、赤ちゃんが寒い中ずーっと泣きっぱなしなので、1時間から1時間半を超えてくるとついつい私も「もう!いい加減にして!」と怒ってしまいます。
私も頭にくるとおとーちゃん先生が絶対にやってはいけないとおっしゃっている「置いてくる」をしてしまします。(そして大変ループにはまります)
また、寝る前の絵本も赤ちゃんを抱っこしたりおっぱいしながらになってしまいます。
寝る時も赤ちゃんは沿い乳で寝るのですが、そうなると娘に背中を向けることになります。
それらが娘には許せないようです。
「赤ちゃんが寝たら次は抱っこするから待っていてね」と言っても妨害してきて、赤ちゃんも泣いて眠れないし、赤ちゃんが寝ないことには娘とのねんね前のイチャイチャタイムも出来ません。
時々うまい事赤ちゃんが寝てくれれば娘との時間も取れますが毎日は出来ません。
そして先日私が「娘ちゃん、大好きだよ」と言うと「違うよ。お母さんは赤ちゃんのことが好きなんだよ。」と、とうとう言われてしまいました。
おとーちゃん先生が「子供に特別はすでに特別じゃない」みたいなことを書かれていたので、今まで「特別な事」はしていませんでした。
しかし、夫が「ダメが多すぎるから(私が)ダメと言った事はできるだけやらせる」と言って、「特別だよ」と言ってなんでもやらせていました。
ごねたりすねたりすると必ず折れるし、子供のごね勝ち、おとーちゃん先生の言う「言いなり」タイプです。
娘はもちろん、パパが大好きです。
もしかしたら、夫みたいに接すれば娘に好かれるかも…と思い、私も言いなりになる場面が増えてきました。
(娘に好かれたいと言うのは変ですね。娘は私が大好きで関わりを求めているからこそのネガティブ行動なのに)
夫はお菓子で釣る事が多いので、遊びたいけど帰らなきゃいけないときなど自分の中で整理がつかないとき、ごねる内容が「帰らない!」から「お菓子食べる!」に変わって自分を納得させようとしているように見えます。これでいいのか心配です。
娘のために毎日児童センターに行ってたくさん遊んだり、一緒にお料理を作ったりしていますが、娘に変化はありませんでした。
他にも一週間に一回、おばあちゃんに赤ちゃんを2時間預かってもらい、娘との時間を作っています。
その日はとてもご機嫌でお風呂も歯磨きもスムーズです。
くすぐり遊びも「こちょこちょしないで」と普段は言われてしまいますが、その日はとても楽しそうに笑ってくれます。
今日は児童センターの先生に事情を話して赤ちゃんを1時間預かってもらいました。娘の機嫌はまずますでした。
幸い娘は弟をとてもかわいがっていて、泣くとおもちゃであやしたり、私が娘にやるように弟に対してくすぐり遊びをしたりします。
娘の気持ちは痛いほど分かります。
ネガティブ行動は私の関わりのせい。それなのに怒ってしまったりして、激しく後悔し、一人泣いてしまいます。
叱らなくていい子育てを目指していたのに。
私も思いつく限りの事をしているつもりですが、どうしたらいいのでしょうか?多分、大事な何かが間違っているような気がします。
今年最後のブログに相談してしまってすみません。
どうぞよいお年をお迎えください。
来年もブログを楽しみにしています。
大人が安易に考えすぎなのかな?
先日、小児科の待合室で、スマホを操る三歳ぐらいの女の子を見かけました。
その日はとても混んでいて、一時間ほど待ち時間がありましたが、
結局、その間一度も母親と会話することもなく、眉間にしわを寄せながらスマホをし続けていました。
ショッピングセンターでカートに乗せられた赤ちゃんがスマホを与えられている光景もよく目にします。
スマホに釘付けになっている時の子供たちの表情にとても違和感を感じます。そこには子供らしい好奇心に満ちたキラキラした表情がないように思います。
我が家には二歳の娘がいますが、主人が面白がってスマホで遊ばせていた頃があります。
初めはほんの1分程の単純なゲームだけでしたが、あっという間に操作を覚えて、次々とせがむようになりました。
普段はわりと聞き分けもよく、強く駄々をこねることがない娘ですが、スマホに関しては、「もうお終いにしようね」と言うと激しく抵抗するようになりました。
スマホの魔力の怖さをまざまざと見せつけられたように感じ、
今ではスマホ自体を娘の目に触れさせないようにしています。
成長していくうちにスマホやゲームを折り合いをつけていく時期がくるのはわかっているし、100%ダメというつもりもないですが、
少なくとも幼児期には大人が積極的に触れさせる必要は全くないと思います。
小さい指でスマホを操っている姿を、大人は面白がって見ることもありますが、その代償は大きいのではないでしょうか。
No title
「芸人になりたい、アイドルになりたい、スポーツ選手になりたい、声優になりたい・・・というようなことを洩らす子どもたちは、彼らの幼い日常生活の中で「寝食を忘れて」夢中になれる対象がせいぜいテレビかネットかゲームの中にしかないという文化環境の貧困を告白しているに過ぎない。」
という文章があって、ひどく衝撃を受けたのを憶えています。私は貧しい文化環境の中で育ったんだ!とようやく気づいた瞬間だったからですw
私の夫の両親の趣味は、山歩き、カヌー、スキー、乗馬、パッチワーク、編み物、家庭菜園・・・と多岐に渡ります。旅行も18きっぷであちこち行ったそうです。
私の親の趣味は飲酒とパチンコくらい(汗)。
「文化資本」という言葉を最近憶えました。
ゲームより面白いものを子供にいっぱい提示したいです。
その上でゲームが一番好きなら、それで構わないのですし。
今年はおとーちゃんのブログと出会えてよかったです。ありがとうございました。
よいお年をお迎えください^^
難しい問題
正に悩んでいた内容です。5歳息子と3歳娘には、出来る限り刺激(テレビ、テレビゲーム、戦隊モノ、音や刺激に溢れたおもちゃ等)を避けて育ててきました。おとーちゃんのアドバイスや私自身の感性で、素朴で美しいおもちゃを揃えてきました。2人とも、積み木や工作、ごっこ遊びやらでしっかり遊びこめるように育ちました。 ただ、周りの友人たちの環境とあまりに違いが大きくなってきて、どうバランスを取ればよいか悩みます。「持っていないこと」で仲間外れが起きる可能性は、やはり心配です。
戦隊モノもDSも、子どもの何をも育まないのに、与えている側に合わせないといけないのかと思うと、悔しいやら悲しいやら…。
自分の子どもだけでなく、日本の子どもたちの心と体が心配です。どうしたら、日本の子育てを良い方向に変えていけるでしょうか。おとーちゃんや、子どもたちのことを真剣に考えている人たちで、何かできたらいいのになぁと、真剣に思います。
ありがとうございました
以前より、息子の事を受け入れたり、信じて待つことが苦ではなくなりました。これも、おとーちゃんさんのブログに出会えたからだと思っています。感謝しています。
子供に対して、周りの言葉や周りと同じようにしなくてはと思い悩み、不安とイライラが多かった日々がありました。今でも心配や迷うこともありますが、自分の気持ちの芯がブレなくなったので乗り越え易くなったように思います。これからも、応援しています。おとーちゃんさんのブログを楽しみにしていますね!今回はお礼を言わせて頂きたくてコメントしました。ありがとうございました。
No title
いつもブログを参考にさせて頂いております。
最近、5歳の息子が「ママのこと気持ちは嫌いだけど、ホントは好き」
と言います。嫌いってなんだ!?と思い怒ったり遊んであげなかったりするから嫌いなのか?と聞いても違うとのこと。そしてパパのことはちょっと嫌いだけど好き、祖父母に至っては好き。と言います。
嫌いの理由が分からないのでどう捉えたら良いのか分かりません。
コメント頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。
ayaさん
という考え方はときおりでてきはするのだけど、日本ではどうしてもそれが文化として根付くところまではいかずに、結局のところ子供だましのところへ落ち着いてしまったり、売れればいいという商業主義のものがほかを淘汰してしまうので難しいのですよね。
子供だからこそ磨けば伸びるものがあるのだけどね。
みっつさん
なので、コメントを読んでの感想くらいになってしまうので、あくまで参考までにどうぞ。
正確な原因というものはわからないけれども、対応の出発点となるのは「全面肯定」というところになるだろうとは思います。
これについては過去記事に詳しいところがありますので、検索して見てください。。
そのうえで必要はのは「おおらか」に見ていくことかと。
こういうケースでは、必ずしも何かをすれば直るとかいうものでもありません。
むしろ、なんにもしないフラットなところに一度戻ってみて、そこからのんびりと関わっていく・見守っていくというのが無理のないところになるでしょう。
今ある状態を、「治すべきなにか」と捉えるのではなく、「これがあなたなんだね」というところから緩やかにスタートしていくことが、解決の近道になることが多いです。
人見知りをしていても成長の上ではなんの問題もありません。
そういう性格・気質なんだとそのまま思ってあげればいいです。
ネガティブな行動があっても、「ああ、そうなんだ」とそのままをまずは一旦その姿を受けてみるように一拍置くといいです。
家庭や保育園でなにか強いストレス要因というものがないならば、まずたいていは性格からくるものと、下に赤ちゃんが生まれたこと、それと成長期という時期的なものがそういう形ででているのではないかという気がします。
下に赤ちゃんがいるとどうしても、余裕がなくなったり、上の子の相手をしきれないときがでてきたりします。
これはもうしょうがないことです。
でも、それは子供自身が乗り越えなければならないことですから、親が過剰にそこを気にしても仕方がありません。
それはそれとして、出来る範囲で上の子に、あなたのこともちゃんと見ていますよ、大事ですよというのを伝えていけばいいでしょう。、
遊んであげる時間がとれなかったら、その分言葉で伝えてもいいでしょう。
そうそう、くすぐりあそびなんかもちょっとの時間でできるのでもちろんいいです。
子供の姿をネガティブに捉えてしまうと、どうしても気持ちや表情などに余裕もなくなってしまうので、そういうところはちょっと意識をして笑顔を向けてあげたりすることもいいかもしれませんよ。
子育ての第一歩はかわいがること でコメントした者です
生まれたときの話をしたり、くすぐって遊んだりする事で自己肯定感が育つなんて、思ってもいなかったので早速してみました。友人二人に赤ちゃんが生まれたので、ちょうどいい機会でした。生まれたときの話をしたり、大きくなったねと喜んだりしてみました。普段あまり見せないような表情で、嬉しそうに聞いていました。私自身も、いま幸せだなーという気持ちが沸いてきて息子にかわいいね、かわいいねと言っていた自分がいました。かるたやすごろく、トランプも、一緒にやっています。
今日はしめ飾りを玄関に息子に掛けてもらいました。抱っこして、ここに幸せ集まってくるんだよと話していたら、部屋に戻って遊んでいるときにふと、僕しあわせーと言ってくれました。
今までの私の子育てはまさに減点法の子育てで冷えきっていた気がするのですが、最近はとてもポカポカ暖かい子育てをしているような気がします。
どなたかのコメントにおとーちゃんさんが書かれていた、子どもは変わるのは実はそう難しいことではない。というようなことを書いておられたのを読んで、ものすご区勇気付けられました。
大きく何かを変えようとかそういう気はないのですが、ただ漠然とこのままの感じで育てていけば、なんとなく私の子育て大丈夫だろうなーという感覚があります。きっと、可愛がれているんだと思います。そういうよい波に乗れてる気がします。
これからも、記事もいろんな方のコメントの返事も隅々まで読ませてください。このサイトにとても助けられています。これからも応援してます。
No title
今年も幸せな年になりますように!
新年早々すみませんが、息子(3歳5カ月)の言葉遣いについて聞いていただきたいことがあります。
保育園のお正月休みがはじまったくらいから、息子が「~じゃねぇわ!」「はぁ?!」という言葉をつかうようになってしまいました。。
私の実家へ毎日のように預けていたのが原因かと思われます。(私の仕事が休めない日もあったので預かってもらいました。)
というのも、私の母と父の言葉遣いがあまり良くないんです。
前々からそれは分かっていて、息子が真似をするし、聞いているこちらも気分がいい言葉じゃないときがあるので、気をつけてもらうように話はしていました。
ですが、そう簡単には変えられませんよね。。
母は気にしてくれるようにはなっても、父は全く変わらずです。
方言もあるので、仕方ないかなとも思うのですが。。なんというか、父のしゃべり方や他にも色々なことが小さい頃から好きになれないんです。
私のこの父に対する気持ちもあり、息子が父と同じように話すのを聞くと、ものすごくイライラしてしまいます。
「そういう言葉、ママは気持ちよく聞けないから、いつもの言葉で話してほしい」と何回も伝えていると、息子に「ママ言わないで!」といわれるようになってしまいました。
また父は、飴やお菓子を息子が欲するままあげてしまうし(私はほとんど与えないから余計ほしがるんです。)、本人が見たいと言ったわけではないのに携帯を見せたりテレビを見せたり、私にとってしてほしくないことばかりをするんです。息子は自分の思い通りになるので、父にずっとくっついています。私が散歩へいこうといっても、父と同じように寝転がってテレビをみる!ママいってきて!と言います。もうこのときは泣けました。
お正月休みあけの保育園でも、朝クラスの部屋に入るとすぐ「おばさんおばさん!」と女の子に言ったり、「くっせー!」と言ったり、お友達と叩きあったり。。
そういう言葉遣いをするとみんなに喜んでもらえると思っているのでしょうか?そういう時期なんでしょうか?
あまり口うるさくいうと、こちらの話を聞かなくなりますし、だからといって放っておくと言いたい放題。ですが、誰が聞いても良い気分になる言葉ではありません。
おとーちゃんさん、3歳児のこういう言葉遣いの対応について何かヒントをいただけないでしょうか?
よろしくお願いします。
はじめまして
偶然こちらのブログと出会い、過去記事をじっくり読ませていただきました。
私は息子といる時間が楽しくって、息子も優しく育っています。でも可愛さのあまり、なんでも手伝ってしまい、いつの間にか、なんでもママやって、という子になってました。過保護と過干渉そのものです。。危険なこと以外はほとんど怒ったりもしませんでした。
これではいけないと思い、パンツとズボン自分ではいてみたら?と向きだけ揃えて渡してみたら、1回で完璧にはけて。感動してすごいすごいって抱きしめたときの、息子の誇らしげな笑顔が忘れられません。
その夜から、「もう3才だからパンツで寝る!」と自分からベッドに。昼間は、取れていましたが、夜は初めてでした。本当に少しのことが、自信につながるんですね♪
まだ赤ちゃんのようでいて欲しいという気持ちや、言いなりになってしまうときもあり、これからも大変ですが、息子を信じて向き合っていきたいです。
こちらのブログのおかげで気づくことが出来ました。本当にありがとうございました!
ピアットさんのコメントに共感しました。
私もおとーちゃんさんのブログに感銘を受け、電子音や光の出るような玩具はなるべく避けています。
でも、この先子どもが大きくなった時に、電子機器やキャラ物など「与えている側」に合わせないといけない時もきっとあるのだろうな‥‥と思うと、不安なような悔しいような。
おとーちゃんさんだったら、そのような場面でどのように子供を導くんだろう‥‥と。
出産前にこちらのブログを知ることができて、私はすごくラッキーでした。いつもためになる記事をありがとうございます。
今年も更新を楽しみにしております!
きのこママさん
たしかにそういう変化は明らかにあると感じます。
保育園でも保護者に対して、子供のためにならないことでも指摘することがなかなかしずらい世の中になってきてしまいました。
むずかしいです。
けふじろさん
なんかおとーちゃんさんが普段自分のお子さんと、どんなことしてすごしてるのか聞いてみたくなったのです。
日常のことだから赤ちゃんだったころのことなんか、ずいぶんと忘れてしまっていたのですが、この冬休みにどんなことして遊んでいたか家族で話して思い出してみました。
こんど記事にしますね。
さくママさん
こういうのは誰しもあることですよ。
特に子供と一対一で、家の中でだけで過ごしているとどうしてもストレスになったりしてでてしまうものです。
ましてや寝ない子であればそれは人よりも大きなものになるのは当然です。
「自分を責めない」ことからスタートするのがいいですよ。
誰しも通る道で、たいていは時間の経過・成長が解決に導いてくれるものです。
マイナスなことをしてしまっても、その分別のところでプラスのことをすればいいのです。
僕はイライラしてしまいそうなとき歌を歌います。
そうすると子供も自分も少し落ち着いたりします。まあ、そうならないこともあるんだけどね。
みゆさん
>大事な何かが間違っているような気がします。
おそらくはそんなことはないだろうと思います。
まず、今の姿はこの2歳という年齢と、下に赤ちゃんができたということを考えれば普通に出てくる姿です。
そうであれば解決可能な問題です。
というよりも、「時間の経過」というのが一番のクスリであるということがたいがいです。
もし、ぶつかることがあって最終的に大人が怒ってばかりいたとしても、3年後、4年後には大人も子供も「そんなことあったっけ?」というような「喉元すぎれば熱さ忘れる」という人がほとんどです。
なので、まず第一にみゆさんが「自分を責めない」ところからスタートするのがいいです。
こういう状況で自分を責めているとなかなか解決のいとぐちにたどり着けなくなってしまうことが多いです。
もうひとつは、「がんばらないこと」です。
僕はしばしば「子供も大人も対等なんだ」ということを書きますが、これは子供に無理をさせないのと同様に大人も無理をすることはないという意味でもあります。
大人は子供に合わせてしまおうとします。
それが大人の許容範囲内であれば、問題ありませんが大人が許容範囲を超えて無理をして合わせていこうとすると、これはやがて破綻が来ます。
しかし、真面目な人ほど、「子供のためである」と思って、このタイプの無理をしてしまいます。
でも、無理を重ねて破綻がきてしまえば、それは結局子供のためにはなりません。
成長期+赤ちゃんの弟妹という状況では
>できるだけ娘を優先し
>細心の注意を払っている
優先してもしなくても、細心の注意を払ってもはらわなくても、結局「イヤ」というような行動にいくものです。
変な言い方だけど、それでは「頑張っただけ大人が損」になってしまうのです。
また、成長期の特徴として、そこででる子供の放縦な行動に大人が合わせれば合わせただけ、その放縦さが増すということがあります。
それらの子供の要求に大人がどれだけ合わせても、なかなかそれは子供の深いところへの満たすにつながらないことも多いです。
なぜなら、それは大人が能動的にしてくれる関わりではないから。
成長期の子供は、自我の爆発によって、大人の関わりを求めるのだけど、本当に求めているのはそれに大人が合わせてくれることではなくて、そうでないところで温かく大人から自分に関わってくれることです。
コメントにあった、お風呂のケースなどもこれにあたるでしょう。そこで子供に合わせても結局のところ子供は満足しきることはないので、そこは強く言ってでも大人のペースで行動してしまう方がいいのです。
なので、子供に合わせるのはほどほどにして、むしろ大人のペースで生活をすすめて、その上で空いた時間に大人の方から子供へ向けるという方が、子供も安定していくことが多いです。
下に赤ちゃんがいることに関しては、これはもう本人が乗り越えるしかないことです。
なので、どうしたって我慢させなければならないことは出てくるでしょう。
それはそれでいいのです。
そこを「かわいそうだ」と大人が思ってしまったら、子供はそれを乗り越えるための精神的な成長を、大人のその気持ちに依存することで止めてしまいます。
だから、この点も大人が頑張らなくていいことです。
>絶対にやってはいけないとおっしゃっている「置いてくる」をしてしまします
この時期の子供への対応で、ほかの手段で子供が動かずにそうするしかないとき、そうするのも構わないと思います。
ただ、するのならば上でも述べたように、大人が子供に合わせて合わせて、我慢して我慢して限界になってからするのではなくて、大人のペースの範囲で(余裕のあるうちに)するほうがいいです。
でないと、子供もその放縦さをコントロールする力が育たなくなってしまいますし、大人に余裕がなくなればそのあとも収集をつけることが難しくなってしまいます。
成長期というのは子供は「衝動」みたいなモノで動いている部分が大きいです。
なので、一個一個のことがその場の勢いなので、よほどのことでなければのちのちまであとを引きずるようなことにはならないです。
つまり、どう関わったところでそれはそうそう失敗にはなりません。
でも、大人が自分の行動に自信を持てずに関わりを重ねていると、あまりうまくいきません。
下の子も世話も必要があってしていることです。変に遠慮することもありません。
怒ったとしても、それは怒る理由があって起こっているのです。それで自分を責めることはありません。
それが子育ての失敗ということにはなりませんから、自信をもってやってみるのがいいですよ。
そよかぜ号さん
「文化」って面白いもので、勉強して身につくよりも環境によって身につく部分が大きいのですよね。
なので子供はなかなか能動的には身につけられません。このあたりは大人の意識によってずいぶんと変わってきそうです。
ピアットさん
うちでもそれは感じます。
でも、友達同士でのそういった差異があったとしても、子供たちは自分たちでそれを埋めて関わりを持つこともできます。
僕らが子供だった時代など、いまよりももっとあからさまな貧富の差などあったけれども、子供はそういうことも乗り越えて関わりをすることができていました。
よしんば、その友達がTVゲームなりがなければ関わりを持てない子であるならば、それに合わせて友達づきあいをしたところで、そこどまりなわけです。
実際のところ友達は100人いる必要はなくて、気の合う友人が数名いればそれでも十分なものです。
そして、家庭が不承不承世間に合わせずとも、つきあえる友達というのはたいていいるものでしょう。
だから、心配の先取りはしないで、少なくとも子供の小さいうちは自分で納得のできる関わりを子供にはしていきたいと思っています。
はなさん
「全面肯定」について書かれた過去記事が参考になるかと思います。
よかったら検索してみてください。
なまこさん
それがなんとなくでもつかめてくると子育ては、そうそう難しいものでもなくなるし楽しめる余裕というのも生まれてくると思います。
はるママさん
しかし、親が「じゃあ、それはしょうがないのか」などと配慮して考えてあげる必要などありません。
自分が好ましくないと感じることならば、毅然としてきっぱりと否定すればいいのです。
A 強い言葉を仲間内でだけで使う
B 親や大人の前でも堂々と使う
同じ言葉を使うにしても、AとBでは大きく違います。
Aの子供は、その言葉を本来は使うべきでないということを理解しつつ、そういう子供の成長にともなう興味によって使っています。
このケースであれば、さして問題はありません。
しかし、Bのケースは、その使うべきと使うべきでないという区別がついていません。
これをそのままにしては、子供は大事なことを学ばないまま大きくなっていくということです。
いまからそうなっていては、ギャングエイジと呼ばれる小学校中高学年やそれ以降の思春期になって、それはさらにエスカレートしているかもしれません。
言葉だけでなく、態度や大人への信頼感というところにまで影響しているかもしれません。
今現在、たしなめたときにシュンとする素振りがあったり、反省したりする様子があるならば、成長とともにだんだん理解できることかもしれませんが、そういう様子が全くなく反発するだけであるならば、大人はもっと毅然とした態度をつねに明確に示す必要があるかと思います。
こういうものは、大人が自信を持てず判断を先送りして明確な態度を示さないでいると、いればいるほど対応は難しくなってしまいます。
その保留にしている間は、結局のところ黙認・許容しているという既成事実をつくってしまうことだからです。
最初の段階から、「それは私は許容しない」という態度を明確に示す方が子供は判断を迷いません。
もし、我が子がそういう言葉を使っていたとしたら僕は迷わず怒っていたと思います。
以前書いた記事にあるように、それを実際は使うことがありませんが、ガタガタ震えて泣いて二度としないと思わせるだけの勢いで怒るだけの準備があります。
しかし、それゆえにこそ実際にそうする必要がありません。
それはその伝えることに対して、揺らがない自信をもっているからできるわけです。
本当に大人が本気になったならば、3歳5ヶ月の子供に負けてしまうということは決してありません。
怒るという手段でなくても、本当に伝えたいと思えば、ご飯をあげませんというなり、おやつを抜くなりいくらでも本気を示す手段というのはあるでしょう。
いざというときに3歳の子供を従わせることができなければ、5歳になった子に必要なこと伝えることは難しいです。
思春期になった子供に対するのはもっと不可能です。
問題は子供の態度ではなくて、大人の方の自信と、どれだけそのことに本気でいるのかということかもしれませんよ。
アイナさん
まずは子供が可愛い、関わりが楽しいということが一番だと思います。
メーさん
でも、小さいうちから与えてしまって、それに飲み込まれてしまうのと、それまでに他の物への興味もしっかりと育てておくというのではずいぶんと違うものだと思います。
なので、心配の先取りはしないで、いま良いと思えることをしっかりと子供に与えることをしていこうと思っています。
ありがとうございます
丁寧なお返事、本当ににどうもありがとうございました。
2歳の娘の成長期の「イヤイヤ」について相談させていただきました。
お父ちゃん先生のお返事を何度も何度も読みました。
娘に合わせるばかりで、こちらから関わる時間が少なくなっていたり、娘への関わりに対応に自信がなかったり、子育てを大変にしていたのは自分だと気付きました。
「頑張り過ぎない」「咽もと過ぎれば熱さ忘れる」など、何だか涙が出てきてしまいました。そうか…。私は頑張っていたんだ。そして、そんなに頑張らなくてもいいんだと思いました。
これからは肩の力を抜いて、娘と付き合っていこうと思います。
一時より娘のイヤイヤも落ち着きました。
でも、やっぱり、「置いてくる」だけは止めた方がいいと感じました。
「置いてくる」をやめて、力ずくでも一緒に行動した方が娘も後々引きずりませんでした。(妊娠中はこの「力ずく」ができなかったのです)
とってもとっても心が軽くなりました。
もっと自信を持って子育てしていきたいと思います。
本当にありがとうございました。
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自分が美術史を専門に勉強してきたこともあり、こどもには本当によいものを見極める力を付けてあげたいと思っています。
万事に至らぬ親ですが、自分にできることはこれしかないので…
小学校や中学校で配布される美術の教科書に載っている様々な絵、音楽の時間に流れるクラシックの名曲、どれも素晴らしいものばかりです。古典は、どれもが革新的な魅力を秘めており、こどもにとっては多様性にあふれる教材となります。ただ、その素晴らしさをこどもたちに伝えられる教師は、なかなかいないのが現状です。
ましてや音程の狂った電子音、無秩序でワンパターンな色彩にまみれた、大衆を消費行動に走らせる類の商品、映像などには、子を教育していく立場として頭を痛めます。
個性のない画一的なものを与えることで、こどもの創造性を奪ってしまう現在の在り方に疑問を感じずにはいられません。
よいものといえば、我が子には、おとーちゃんさんのブログを参考に、童具館の積み木をベースにプラステンなどといったおもちゃを与えたところ、これだけで実に色々な遊びを自ら展開するようになりました。毎日遊んでいます。おもちゃの知識は0だったので、本当に助かりました。
また、なるべく自然豊かな公園で遊ぶようにもこころがけています。自然の美しさ、厳しさから得られるものは何物にもかえがたいと思っております。
話が飛び飛びになりましたが、今年はこれで終わりなんですね!
子育てのぶれない指針を私に与えてくださったのはおとーちゃんさんです。いつも感謝しております。
来年の更新も楽しみにしておりますね。わたくんとむーちゃんと、よいお年を。